70年代のアイコンが海を越えてやってきた
それは事件としか言いようがなかった。米国で放送されていた爆発的人気ドラマ「チャーリーズ・エンジェル(76年~81年 ABCネットワーク)」そのドラマが日本でも放送されることが決定、放送後たちまち3人の美しいエンジェルたちの中でひと際、まばゆい光を放つ、金髪の奇麗なお姉さんに日本中の諸氏が釘付けとなり、女の子たちはそんな彼女に〝羨望〟を抱いた。
金髪の奇麗なお姉さんその名はファラ・フォーセット。彼女は既に本国では70年代のポップカルチャーの肖像と称えられ、「チャーリーズ・エンジェル」のジル・マンロー役に抜擢される同年に「ファラ・フォーセット売ります」というキャッチコピーで水着姿のポスターが発売されると異例ともいえる1200万枚売り上げ、米国だけにとどまらず世界中で売れに売れた。
☝サーファーカット(ファラ・カットとも呼ばれた)と笑顔が眩しいファラ・フォーセット。世界で1200万枚を売り上げた伝説的ともいえるポスター。彼女は70年代のアイコンそのものであった。
ちなみに彼女のヘアスタイルは、アレンジを加えながら映画「リトルダーリング(80年)」にティータム・オニール(後に義娘となる)とW主演した
クリスティ・マクニコルのヘアスタイルとなり☞海を渡って80年デビューの松田聖子さんの聖子ちゃんカットにへと受け継がれていった。
ファラのサーファーカットは聖子ちゃんカットのプロトタイプだったと言えるのだ。
ファラとともに「チャーリーズ・エンジェル」の一員だったケイト・ジャクソン(サブリナ・ダンカン役)、ジャクリーン・スミス(ケリー・ギャレット役)も美しいのですが、ケイトは知的でシャープな美しさでどこか近寄りがたさがあり、ジャクリーンは正統派なクールビューティ系やはり敷居の高さを漂わせる美しさだった。だからファラ・フォーセットのどこか隙と愛嬌のある佇まいとあの見事な歯並びの屈託のない笑顔にみんなやられてしまったのだろう。とにかく彼女は70年代の米国そのものに見えた。それだけ破壊力があったわけだ。
「チャーリーズ・エンジェル」降板騒動
人気が世界的なものとなれば、ハリウッドがほっとくはずがなく出演依頼がいくつも舞い込んでくるのは仕方がない。テレビシリーズのレギュラーという立場ではあるものの、女優としての実績を残したいもっとステップUPしたいと思うことは自然の成り行きであろう。
ファラは「チャーリーズ・エンジェル」第2シーズンのレギュラー出演の降板を申し出ることでファーストシーズンのみの出演となってしまった。しかし契約している制作サイドはそれを許すはずもなく〝訴訟問題〟にまで発展し、法廷闘争に至らないよう和解に持ち込む為に第3シーズンと第4シーズンにゲスト出演することで落としどころとなった。
この様子を間近で見ていたであろう、ケイト・ジャクソンはダスティン・ホフマン主演「クレイマー・クレイマー(79年)」のダスティンの妻役に出演依頼が舞い込んできたが、制作サイドからNGが出てしまいケイトは出演を断念、代役でメリル・ストリープが抜擢されたという経緯がある。もしケイトがファラのように降板を強行していたら、世界規模でもっとキャリアを築き上げることができたかもしれない。「チャーリーズ・エンジェル」のエンジェルだったことで当時としては充分、世界規模の認知を得たことは確かだが、演者としては演技の幅をもっと広げたかったであろう。ケイトは第3シーズンを最後に降板している。
第2シーズンからはファラが扮していたジル・マンローの妹という設定で、シェリル・ラッドがクリス・マンローとして最終シーズンまでジャクリーン・スミスとともにレギュラー出演を全うした。
☝ファラ・フォーセット降板後に妹という設定でエンジェル入りしたシェリル・ラッド。彼女も先代のファラを凌ぐ勢いで日本で人気となった。日本の洋酒企業のCMにも起用され歌声も披露。
CMソングだった日本限定リリース「ダンシング・アメリカン (Where is Someone to Love Me)」もオリコンチャートで洋楽では異例の20位のヒットとなった。
82年に交通事故により急逝したモナコ公妃・グレース・ケリーの追悼ドラマでグレース・ケリー役も務めた。
元エンジェルたちは健在で、時折レセプションパーティなどで今尚お美しい姿を披露している。
しかしファラ・フォーセットは・・・
永遠のエンジェルになってしまったファラ・フォーセット
これは私の勝手な解釈になるのだが、ファラ・フォーセットの出現により、我々日本人が思い描く米国の女性像が出現前と出現後にはっきりと分かれたのではないかと。
ファラ出現以前の米国人女性のイメージは、どこか上から目線で居丈高さなイメージが拭えなかった。ファラ出現後は等身大の米国女性というものがファラを通して見えてきたように思えてあの美しい歯をこれでもかと言わんばかりに披露し笑う。あの笑顔で距離がちょっと縮まったような錯覚さえ起こしてくれたものだ。そしてそれが〝憧れ〟の感情を抱かせるまでになった功績は本当に大きいと思う。
晩年は順風満帆とは言えない状況の中で、62年の生涯に終止符を打ってしまったがここで終わりにしたいと思う。これ以上彼女のバックグラウンドについては触れたくないので・・・
最後に大変書きづらいことだが、最期を看取ったとされる某俳優と出会ってしまったのが運の尽きだったのかもしれない。
あのキラキラした笑顔のままのファラ・ファーセットだけを記憶していればそれでいい・・・