画像:写真ACより
生きていりゃ記憶違いや勘違いなんてよくあることサ
何気ない日常の中、勝手な思い込みや誤った認識をしまいがちである・・・だって人間だもの。
しかし、この現象を〝マンデラ・エフェクト〟だと主張し始める人々が増え、ネットで〝マンデラ・エフェクト〟の具体例を挙げるサイトや動画などが存在する。
私は聊か、この〝マンデラ・エフェクト〟に対し懐疑的ではあるものの、それにしては私を含む多くの人々が勘違いや誤った認識を共有していることに驚かされる。
世界規模の誤認識?マンデラ・エフェクト(マンデラ効果)とは?
〝マンデラ・エフェクト〟とは南アフリカの反アパルトヘイト運動家で1966年(昭和41年)に〝国家反逆罪〟で投獄され終身刑となったネルソン・マンデラ氏(1918年~2013年<大正7年~平成25年>)が1980年代(昭和55年~平成元年)が獄中死したと世界規模で認識されていたことから由来となったネットスラング。
〝マンデラ・エフェクト〟に対し懐疑的な私もネルソン・マンデラ氏は80年代に〝獄中死した〟と思い込んでいた一人だった。しかし1990年(平成3年)に終身刑から恩赦となり、自由の身になったという報道を目の当たりにし、「えっ!この人物は確か・・・獄中死したはずでは?」と頭の中が?の嵐になったものである。そんな記憶違いをしているのは自分だけであろうと当時は思っていた。
だが、ネットの普及によりその誤った認識をしていた人たちが世界規模に存在していたことに・・・ド肝を抜かされたものである。
ちなみにネルソン・マンデラ氏は恩赦後、南アフリカの大統領となり2013年(平成25年)に逝去の際、国葬が執り行われた。
〝マンデラ・エフェクト〟となった要因とは?
南アフリカは長きに渡り、過酷な人種隔離政策が強いられ、白人以外の黒人を筆頭に有色人種に対する差別が横行していた。そのような理不尽な扱いに反旗を翻したのがネルソン・マンデラ氏を代表とする反アパルトヘイト運動家並びに活動家たちだった。その中でネルソン・マンデラ氏と同じく著名で逮捕後に過酷な取り調べの末に命を落とした活動家いた。
1960年代(昭和35年~昭和44年)から1970年代(昭和45年~昭和54年)にかけて草の根的な反アパルトヘイト・キャンペーンの最前線にいた一人にバントゥー・スティーヴン・ビコ(スティーブ・ピコ)氏(1946年~1977年<昭和21年~昭和52年>)という青年の存在があった。活動の締付けと度重なる脅迫は苛烈を極めた1977年(昭和52年)、逮捕後の尋問による暴行により死亡。死後に彼の名が世界中に知れ渡り、政治的殉教者、反アパルトヘイト運動の象徴となった人物でもあった。〝黒人意識の父〟とも称される。どうもこの人物と反アパルトヘイト運動により、終身刑となったネルソン・マンデラ氏が同一視され〝獄中死〟という認識が世界規模で共有されてしまったのではないだろうか?
1990年(平成3年)、ネルソン・マンデラ氏の恩赦が世界中で報道された時に、反アパルトヘイトを掲げ訴え続けた英雄、南アフリカの父と報道で幾度ともなく紹介されていたことも要因の一つではないかと考えられるのだが、どうだろうか・・・。
ネットも普及していなかった時代、実際にあったアパルトヘイト政策など遠い国の出来事であり、さらに新聞に掲載された粗い画質の写真を見てもネルソン・マンデラ氏とそして非業の死を遂げたバントゥー・スティーヴン・ピコ氏を別人として認識していた人はごく少数であったことは間違いないだろう。私も誤認識していた一人であった・・・
代表的マンデラ・エフェクト事例
ブラジルの首都がリオデジャネイロ(サンパウロもあり。本当の首都はブラジリア)
※ブラジルの首都は1959年(昭和34年)までリオデジャネイロだった。荒涼とした大地に多額の資金を投入し内陸部に1960年(昭和35年)に首都を移転させたのが現在の首都ブラジリア。リオデジャネイロが首都だった頃から二大都市として有名なサンパウロも知名度の高さで度々首都と誤認識されている。
オーストラリアの首都がシドニー(メルボルンもあり。本当の首都はキャンベラ)
※シドニーもメルボルンも東沿岸にあり風光明媚な地域。観光や経済活動が活発なため首都のキャンベラより知名度が高いことが要因と思われる。キャンベラも東部にあるやや内陸寄り。当初から首都として設計された都市。
ボルボのエンブレムは円の中にVOLVO(本当は円の右上→♂マークにVOLVO)
※VOLVOに数年間乗っている知人に尋ねたところ「円」と答え「♂のようなマークの中にVOLVOみたいだよ」と教えたら今まで気づいていなかった模様
日本の在命中の有名人の訃報
※大山のぶ代さんは2005年(平成17年)に放送開始の1979年(昭和54年)から担当していた「ドラえもん」の出演を降板されその後の2012年(平成24年)に認知症と診断。3年後の2015年(平成27年)に夫・砂川啓介さんによりそのことが公表されたことが訃報と誤認識させてしまった説と大山さんの介護をしていた砂川さんの訃報(2017年<平成29年>没)が混同してしまったことが要因となったのではないかと考えられる。大山さんは現在、老後養護施設で過ごされ一緒に入所されている方々と合唱したり交流が活発な近況のようだ。生前、砂川さんが公私ともに夫婦を支えていたマネージャーに大山さんのことを託していた。砂川さんの葬儀の際、認知症が進行していたはずの大山さんが砂川さんが眠る棺を見た途端、泣いたという逸話をマネージャーが2017年9月号「文藝春秋」で告白している。※財津一郎さんはここ10年ほど芸能活動は一切せず4歳年上の奥様と過ごされていた。しかし一昨年の秋に自宅で奥様が転倒されてから要介護となり、昨年2月(2020年<令和2年>)に奥様に先立たれるまで財津さんは介護をされていた。財津さんは昭和9年生まれの有名・著名人たちで結成した〝昭和9年会〟の一人。2010年代(平成22年~平成31年/令和元年)にメンバーたちの訃報が相継いだことも要因だと考えられる。
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2010年代に逝去された昭和9年会メンバー
- 玉置宏さん(司会者2010年没<平成22年>)
- 坂上二郎さん(タレント兼俳優2011年没<平成23年>)
- 長門裕之さん(俳優2011年没<平成23年>)
- 佐藤充さん(俳優2012年没<平成24年>)
- 牧伸二さん(ウクレレ漫談家2013年没<平成25年>)
- 山本文郎さん(元TBSアナウンサー2014年没<平成26年>)
- 八代目橘家圓蔵 師匠(落語家2015年没<平成27年>)
- 愛川欣也さん(タレント2015年没<平成27年>)
- 大橋巨泉さん(タレント2016年没<平成28年>)
- 藤村俊二さん(タレント2017年没<平成29年>)
- 森岡賢一郎さん(音楽家2018年没<平成30年>)
- 前田憲男さん(ジャズピアニスト2018年没<平成30年>)
ワイドショーで告別式の様子が頻繁に報じられていたことと、昭和九年会のメンバーが参列していたことも影響していたと考えられる。現在も1997年(平成9年)に撮影された財津さんが出演している『タケモトピアノ』のCMは絶賛放映中。
実際に逝去された芸能人で多くのファンからの要望によりCM放映の続行が起用側から検討されたことで記憶にあるのは「揖保乃糸」のCMに出演されていた元キャンディーズの田中好子さん。田中さんが他界されたのは2011年(平成23年)。2010年代に入って間もない頃だった。田中さんのCMはしばらく放映されていたが、視聴者側の混乱を招くということで京野ことみさんが後任に抜擢され2019年(平成31年)3月までCMキャラクターを務めた。
※山田洋二監督はご健在で映画監督として現役だ。志村けんさん主演の「キネマの天地」を撮影するはずだったが、2020年(令和2年)3月29日に志村さんが急逝し頓挫しかけたところに、山田監督の希望により沢田研二さんが代役を快諾し映画「キネマの天地」は今年の春上映が決定している。なぜ?死亡説が飛び交ったのか調べてみたがその要因があまり見当たらない。ただし、2019年(平成31年/令和元年)に封切られた「男はつらいよ50 お帰り寅さん」の試写会時にメディアからの〝重病説〟に対する質問に「もうすぐ死ぬから詮索しないで」という発言が大きく報じられたことがあった。さらに同年に高倉健さんとタッグを組み数々の名作を世に放った降籏康男監督が亡くなられていたことも影響しているのではとも考えられる。ちなみに高倉さんは山田監督の「幸せの黄色いハンカチ(1977年<昭和52年>)」の主演だった。時間を遡ると2003年(平成15年)に「仁義なき戦い」シリーズなどで有名な深作欣二監督がお亡くなりになっている。作風と生き様は正反対だが晩年の風貌(白髪にレンズに色の入った眼鏡)が似ている点も気になるところではある。ただしよく見るとまったく違う。
その他の事例については各々で調べてみて欲しい。
心のどこかで否定したくないマンデラ・エフェクト
マンデラ氏の死亡時期の誤認識が世界規模であったがために、生み出されたネットスラング〝マンデラ・エフェクト(マンデラ効果)〟私自身、心のどこかで否定したくない部分があり、そういう現象もあるのでは?と思いたい一人である。
パラレルワールドの存在があったとしたら・・・そんなことを想像しながら毎日を楽しく懸命に生きて行けばそれでいいのではと思う今日この頃である。