※昭和の時代、日常の風景にあった琺瑯看板。そんな琺瑯看板で名看板の一つされる浪花千栄子さんのオロナインH軟膏の琺瑯看板と他の看板とプロレス興行のポスター。昭和って混沌として素敵だなぁ~そんな琺瑯看板の和服姿のおばちゃんが次の朝ドラヒロインになるという・・・(写真素材AC/浪花千栄子さんの琺瑯看板)
次のNHK朝ドラ「おちょやん」のモデルは女優・浪花千栄子
令和2年(2020年)11月30日からスタートとなる朝ドラ「おちょやん(ヒロイン:杉咲花)」そのヒロインのモデルとなったのが、〝浪速の母〟〝大阪のお母さん〟こと女優・浪花千栄子(明治40年=1907年~昭和47年=1973年 66歳没)の半生が次の朝ドラで描かれることになる。
基本的に朝ドラという性質上、半生をモデルにしながらフィクションを織り交ぜていくのがみなさまのNHKスタイルであり、史実に基づいたノンフィクションではないことは初めにお断りさせて頂く
※ノンフィクションにするとモデルとされた人物の中には朝ドラならぬ〝昼ドロ〟展開に発展しかねないモデルも正直いらっしゃるので、あくまでも朝に放送されるドラマ。どなたとはここでは割愛させて頂く😅
NHKの朝ドラといえば実在した人物の半生をモデルにしたドラマがストーリー展開上、安定感があり創作も膨らみ、さらに昭和の文化や風俗なども織り込みやすい、さらにある程度知られている人物を原案にした方が、オリジナルより登場するキャラクターと実在のモデルと重ね合わせ視聴できるという旨味もある。
実在した人物をモデルにした朝ドラ(2010年~2020年)
- もうすぐ大団円を迎える戦前、戦中、戦後を通し数々の名曲を生み出した古関裕而氏と妻・金子さんの半生をモデルにした
「エール(主演:窪田正孝/ヒロイン:二階堂ふみ)」 - 世界初のインスタントラーメン(チキンラーメン)を生み出した日清食品の創業者・安藤百福氏と妻・仁子(まさこ)さんの半生をモデルにした
「まんぷく(ヒロイン:安藤サクラ/長谷川博己)」 - 吉本興業の創設者・吉本せいさんの半生をモデルにした
「わろてんか(ヒロイン:葵わかな)」 - 子供服のアパレルメーカー・ファミリアの創設者の一人・坂野惇子さんの半生をモデルにした
「べっぴんさん(ヒロイン:芳根京子)」 - 今尚、隔月創刊中の「暮しの手帖」の創刊者・大橋鎭子さんの半生をモデルにした
「とと姉ちゃん(ヒロイン:高畑充希)」 - 大阪を拠点に実業家兼教育家として奮闘した広岡浅子さんの半生をモデルにした
「あさが来た(ヒロイン:波留)」 - ニッカウヰスキーの創業者・〝日本のウイスキーの父〟と称される竹鶴政孝氏と妻・リタさんの半生をモデルにした
「マッサン(主演:玉山鉄二/ヒロイン:シャーロット・ケイト・フォックス)」 - 名作「赤毛のアン」の日本語翻訳者である村岡花子さんの半生をモデルにした
「花子とアン(ヒロイン:吉高由里子)」 - コシノ洋装店を切り盛りし、74歳にしてアヤコ・コシノブランドを立ち上げ、戦前から独自のアイデアで【立体裁断(ドレーピング)】を実践し洋服を仕立てていた
デザイナーのコシノ3姉妹(コシノジュンコ、コシノヒロコ、コシノミチコ)の母・小篠綾子さんの半生をモデルにした
「カーネーション(ヒロイン:尾野真千子)」
※「カーネーション」で随所に描かれていた立体裁断だが、立体裁断が本格的に日本に上陸したのは1955年以降からであった。しかし小篠綾子さんの洋装店は繁盛しており、型紙を作ってからとなると時間が足りず苦肉の策で独自に生み出された我流の立体裁断を実践していた事実がある。本能が為せる業だったのかもしれない。
- 古くより伝承に語り継がれてきた妖怪たちを具現化した漫画家・水木しげる氏と妻・布枝さんの半生をモデルにした
「ゲゲゲの女房(ヒロイン:松下奈緒/向井理)」
2010年代以降もこれだけの実在の人物モデルのドラマが製作されている。
〝浪速の母〟〝大阪のお母さん〟と称された浪花千栄子の横顔
大阪府南河内郡大伴村(現・富田林市東板持町)に生まれ、実家は養鶏場を営んでいたものの生活困窮のため8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中として奉公。
その後は京都でカフェの女給として働いていた18歳の時、知人の紹介により村田栄子一座に入り女優への第一歩を歩み始める。舞台もこなすようになるも客の不入りが続き舞台に見切りをつけ東亜キネマ等持院撮影所へと移る。当時は香住千栄子の芸名で端役で出演していた。
大正15年(1926年)に山上伊太郎氏シナリオデビューによる大作「帰って来た英雄」の準主役に大抜擢、それ以来は女優としてコンスタントに実績を上げ女優として脂がのった頃に市川右太衛門、市川百々之助に招かれ映画出演を続けたが給与未払いなどもあり映画界から足を洗った。
映画からまた舞台へと戻った昭和4年(1929年)「新潮劇」に参加。翌年、昭和5年(1930年)に後に夫となる2代目渋谷天外、曾我廼家十吾らが旗揚げした松竹家庭劇(後の松竹新喜劇)に参加、その参加メンバーの中に後に松竹新喜劇の看板となる関西の喜劇王・藤山寛美氏(藤山直美さんの実父)、二枚目役を得意とした曾我廼家明蝶氏(昭和53年フジテレビで放送された田宮二郎版の「白い巨塔」では主人公の義父役を憎たらしく演じた名優)、惚けた味わいの演技が得意の曾我廼家五郎八氏(テレビ創成期から多くのドラマに出演し、私のような昭和末期世代ではフマキラー、金鳥などの大手殺虫剤メーカーのCMで馴染み深い)などいた。
渋谷天外(2代目)と結婚後、松竹新劇の看板女優として夫唱婦随で歩んでいたように見えたが、昭和23年(1948年)夫の天外(2代目)は松竹新喜劇に新たなに加入した新人女優九重京子と不倫関係に陥り、子どもが誕生したことをきっかけに離婚に至り昭和26年(1958年)松竹新喜劇を退団。
公私ともに歩んできた夫・天外(2代目)の裏切りともいえる行為が堪えたのか、浪花千栄子はしばらく表舞台から姿を消し消息不明状態になっていた。消息を絶った浪花千栄子をどうしても起用したいNHK大阪放送局のプロデューサー・富久新次郎氏が浪花を捜し始める。消息を知った富久氏は自らが手掛けるNHKラジオドラマ「アチャコ青春手帖」の主役・花菱アチャコの母親役として出演を懇願する。富久氏の説得により表舞台に復帰。それが大人気となり「アチャコほろにが物語 波を枕に」「お父さんはお人好し」で親子役のタッグでラジオの前の聴衆を魅了、これが長寿番組となり斎藤寅次郎監督により映画化にまで至った。
映画出演を機に再び映画女優として本格的に活動し始めていく、溝口健二監督の「祇園囃子」で茶屋の女将を演じブルーリボン助演女優賞を受賞。それ以来、溝口作品の常連となりさらに木下惠介監督作にもなくてはならない存在となった。その他に豊田四郎監督作「夫婦善哉(昭和30年=1955年 主演:森繁久彌)」黒澤明監督作「蜘蛛巣城(昭和32年=1957年主演:三船敏郎)」小津安二郎監督作「彼岸花(昭和33年=1958年主演:佐分利信)」内田吐夢監督作「宮本武蔵(昭和36年=1961年主演:中村錦之助後の萬屋錦之助)」など名作に次々と出演。
京都嵐山天龍寺内に旅館「竹生」を構え、女優業の傍ら養女とともに切り盛りをしていくようになる。旅館を開業する以前に「近松物語(昭和29年=1954年)」で共演する香川京子さんを旅館に滞在させながら、着物の着こなしや所作などの指導を務めた。それは溝口健二監督からの依頼であったという。香川京子さんのあの流れるような美しい一つ一つの所作は浪花千栄子仕込みであったということに感慨深いものがある。
時代はテレビへと移り変わり、大ヒットドラマ「半沢直樹」が放送されていた「日曜劇場」が東芝一社提供の単発ドラマ枠時代の「東芝日曜劇場」に常連級に出演。
東芝日曜劇場OP☜クリックしてご覧あれ
※「光る東芝の歌(作詞:峠三四郎/越部信義)」東芝日曜劇場のOPVerを歌っているのはデュークエイセス。東芝日曜劇場のタイトルコールの声はあの「ラーマ奥様インタビュー」で名を馳せた強靭なインタビュアぶりでCM史上爪痕を残した押阪忍さんであるっ!!ちなみに東芝日曜劇場の初代のOPを歌っていたのはダーク・ダックス。そのOPが☞「マツダランプの歌(作詞:原田スズヨ・西條八十/作曲:米山正夫)」初代・ダーク・ダックスが歌う白黒時代のOPは昭和31年(1956年)12月~昭和42年(1967年)9月まで、二代目のデューク・エイセスの「光る東芝の歌」は昭和42年(1967年)10月~昭和54年(1979年)9月その後、同曲ではあるが歌唱者不明の「光る東芝の歌」(この時期までタイトルコールは押阪忍さんだった)状態が続き、昭和61年4月(1986年)から平成9年(1997年頃?まで)ジュディ・オングさんの「愛の巡り逢い」がOPを飾っていた。平成9年(1997年)以降は大貫妙子さんの「いつまでも」がOPを飾っていた。2000年代ぐらいから東芝一社提供でなくなる2002年までインストの曲が流れスタイリッシュなOPになっていたような記憶がある。昭和末期世代にとって一番馴染み深いデュークエイセスが歌う2代目OPのダーク・ダックスVerをYoutubeで聴いたことがある。デュークエイセスは格調高さと重厚感。ダークダックスは親しみやすい軽やかさという印象
昭和40年(1965年)NHKの大河ドラマ「太閤記(主演:緒形拳)」では大政所役で出演。花登筐氏原作「銭の花」をドラマ化した「細うで繁盛記(主演:新玉美千代)」にも出演。1973年12月22日にこの世を去るまで現役女優を貫いた66年の生涯だった。没後に勲四等瑞宝章受章。
昭和の名脇役と称される西の浪花千栄子と東の沢村貞子
昭和の映画、舞台、テレビドラマを助演級で支えた功労女優として誉れ高い浪花千栄子と並び称される女優に沢村貞子がいる。沢村貞子は、浪花千栄子より一つ年下、1908年東京浅草生まれの幅広い役柄で知られた名女優。俳優の長門裕之氏、津川雅彦氏の叔母としても知られていた人物だった。沢村の半生をモデルにした朝ドラは昭和53年(1978年)4月~9月まで放送されていた「おていちゃん(ヒロイン:友里千賀子)」に既にドラマ化されている。この作品は数話NHKに保管されているも、全話保管でないため当時VHSでドラマを録画している猛者たちのビデオ映像を募っている状態であるという。朝ドラ「おていちゃん」を私は見ていたのだが、沢村貞子は舞台女優時代、周囲の劇団関係者に感化され左翼思想に傾倒し2度逮捕の過去がある。その事実も朝ドラの中では描かれており、身柄拘束後拷問されるシーンは子ども心に残っている。朝ドラという性質上、沢村貞子が受けたであろう過酷な取り調べよりソフトに描写されてはいるのだろうが当時、沢村はまだ20代前半、時代と巡り逢わせが悪かったと言うしかない。
1970年代は権力に歯向かった者に対し賛美する風潮があり、時代に流されず自由の求道者的・沢村貞子の半生をドラマ化することに当時のテレビマンたちが意欲を燃やしたことは想像に難くない。沢村貞子もこの朝ドラの存在は承知しており、晩年に差し掛かっていた沢村もほろ苦く若気の至りと思いながらも包み隠さず自分の青春時代を噛み締めたことだろう。左翼思想に傾倒してしまった後、しばらく女優業を干されるも実兄の澤村国太郎(長門裕之氏、津川雅彦氏の実父)に勧められ映画へと新境地を切り拓き、平成元年(1989年)に引退するまで名女優として時にはコメディリリーフも長けていたどんな役でもなんで来いの活躍ぶりだった。その7年後の平成8年(1996年)にこの世を去る。87年の生涯だった。遺志により先立っていた夫で映画批評家の大橋恭彦氏の遺骨とともに相模湾に遺骨は散骨された。
次の朝ドラ「おちょやん」の浪花千栄子と既に朝ドラ化された「おていちゃん」の沢村貞子、そして第三の女優・盃三杯(一杯だったかな?)泣かせますというコピーで母親役を得意としていた三益愛子の存在もあるのだが、この人物の朝ドラ化は少々難しいかもしれない・・・理由は割愛させて頂く😅
令和の時代になぜ朝ドラは浪花千栄子なのか!
ネットが普及して久しくなったが、ネット創成期より昭和なレトロな懐古なもの特に郷愁を誘う琺瑯看板に胸をときめかすものが続出。その琺瑯看板の中でも強力殺虫剤のハイアースの水原弘、蚊取線香のアース渦巻の由美かおる、そして今回のテーマの主役でもあるオロナインH軟膏の浪花千栄子。三大琺瑯看板とも言って過言ではない。これが影響していることとそして浪花千栄子のドラマティックともいえる半生が着目されたことも大きいのではないかと推察。
琺瑯看板の存在など知らなかった世代にとっては和服姿で笑顔のオロナインH軟膏のおばちゃんは一体何者だったのか?興味をそそられる者が一定数存在することは明らかだ。そして今、浪花千栄子の半生が朝ドラ化されることで、あの看板のおばちゃんのドラマなのだと認識せざるを得ない。
時に爽やか元気に、時に笑い、時に悲哀を描きつつ、激動の明治、大正、昭和を駆け抜けた一人の女優の半生をドラマティックに描いていくであろう「おちょやん」ヒロインを演じる杉咲花さんは、「とと姉ちゃん」ではヒロインの妹役で朝ドラ出演していた。ここ数年の朝ドラヒロインの抜擢傾向は妹役でテストというのが慣例になりつつある。やはり無名の新人女優の選考は時間とコストがかかるのだろうか?来年放送予定の朝ドラ「おかえりモネ」のヒロイン清原果耶さんも「あさが来た」で女中役、さらに「なつぞら(ヒロイン:広瀬すず)」では妹役で出演。もうすぐクライマックスを迎える「エール」でヒロインの妹役で森七菜さんが出演しているが、彼女が朝ドラのヒロインになる日がもしかしたら来るかもしれない。おちょやん扮する杉咲花さんには溌剌とした浪花千栄子像を視聴者に魅せつけて貰いたいと願いつつこのテーマは終わらせて頂く。