【ザ・昭和】お笑いのフリップ芸の元祖?「テレビ三面記事」

イメージ画像(Pixabay/写真AC)

「テレビ三面記事」はお笑いフリップ芸の走り?

お笑いの一つのジャンルとして確立された感のある〝フリップ芸〟そのフリップ芸のパイオニア的とも言える存在があった。
視聴率に苦戦を強いられていた日本テレビの朝のワイドショー「あなたのワイドショー」の金曜日のワンコーナとして産声をあげた「テレビ三面記事」
これこそが今日に至るお笑いの〝フリップ芸〟の元祖ともいえるものではなかろうかと私は勝手ながら思っている。

爽やかな週末の朝に下世話の嵐が奥様を襲う

昭和40年代後半から50年代前半(70年代)に爽やかな朝の時間帯にワイドショーのコーナーで下世話なネタをフリップや再現フィルムで紹介していた
「あなたのワイドショー(日本テレビ/昭和47年4月~昭和52年4月)」の金曜日人気コーナーでもあった「テレビ三面記事」

この人気コーナーはワイドショーのワンコーナーに収まらず、週末の夜に「ウィークエンダーテレビ三面記事」として昭和50年(75年)から併行放送開始
この番組では、漫画家兼タレントであった加藤芳郎さんが司会進行を務め、この番組をきっかけに大ブレイクを果たした泉ピン子さん、西川きよし師匠、
桂朝丸師匠(現在のざこば師匠)などが時に下世話、ある時は面白い、またある時はコワい三面記事(B級ニュース)をフリップや再現フイルムを駆使し、
大暴れしていたテレビ史に爪痕を遺す番組となった。

放送時間が夜ということもあり朝の時間帯のワイドショーのワンコーナーの三面記事より刺激の強い内容が多く物議を醸した番組でもあった。

ただし、ここでは「ウィークエンダーテレビ三面記事」の前進でもある「あなたのワイドショー」金曜日のワンコーナーだった「テレビ三面記事」に触れていきたい。

視聴率合戦に打ち出したワンコーナー

テレビが娯楽の主流となった70年代、視聴率を稼ぐため民放各局はあの手この手で策を講じ、様々な名番組が制作された。
そんな中でも、ワイドショーは今で言う「クセが強い」ものが多く、特にNET(現在のテレビ朝日)の「〇〇〇〇モーニングショー(昭和39年~平成5年=1964年~93年放送)」は、〝人間蒸発〟なるコーナーがあり、行方不明となってしまった家族をテレビの力を使って捜索するものや、正妻と愛人を対面させ問題の元凶である男性の前でしかも生放送で言い争わせたりするものなど、徹底して〝人間臭さ〟を追及したエグイコーナーを得意としていた。
※「〇〇〇〇モーニングショー」の〇〇〇〇部分はメインの名前が入る。平成27年(2015年)に放送開始となった「羽鳥慎一モーニングショー」にてタイトル復活し現在に至る。

フジテレビ系列で放送されていた「小川宏ショー(昭和40年~昭和57年=1965年~1982年)」はNHKアナウンサーからフリーに転身した小川宏氏がメインを務めたワイドショーで豪華なゲストを招いたトークコーナーや芸能情報にかなり力を入れていた記憶がある。

そんな強豪が犇めき合う中、日本テレビ系列は苦戦を強いられていた昭和47年(1972年)に曜日別に芸能人や俳優、文化人が司会を務める「あなたのワイドショー」を放送開始。
特に週末の金曜日、フリップボードや再現フィルムなどで面白いものから不気味、不可思議、そしてエグイ全国の新聞に掲載されないB級ニュースを紹介する「テレビ三面記事」が人気となり、週末の夜22:00放送の「テレビ三面記事ウィークエンダー」まで誕生させてしまうほどに大化けしていった。

三面記事見出しのジングルはBS&Tの「スピニングホイール」

「テレビ三面記事」の見出しのジングルはクインシー・ジョーンズの「アイアンサイド」を思い浮かべる人が多数であろう、しかし元祖の「テレビ三面記事」はブラッド・スウェット&ティアーズの「スピニングホイール」で、見出しのナレーションの「新聞によりますと~~~のよーですっ。」の冒頭と締めの常套句は「あなたのワイドショー」金曜日の「テレビ三面記事」がオリジナルである。

「テレビ三面記事ウィークエンダー」のナレーションは日本テレビアナウンサーだった小早川正昭氏が担当だったが、元祖の「テレビ三面記事」のナレーションは橋本テツヤ氏?だったと記憶している。(記憶に誤りがあったとしたら申し訳ない。)橋本テツヤ氏は当時、TBSの「クイズ100人に聞きました」やラジオDJとしても大活躍していた人物。橋本氏のWikipediaを拝見すると、「あなたのワイドショー」の後々番組である「ルックルックこんにちわ」のコーナー司会を担当していた記述が確認できる。(しかし確証がないので〝?〟を付けさせてもらった。)
「テレビ三面記事」は「あなたのワイドショー」の後番組「ミセス&ミセス」そして後々番組の「ルックルックこんにちわ」まで続いた人気コーナーであった。

「テレビ三面記事」の夏休み時期の定番はやはり・・恐怖特集

「あなたのワイドショー」昭和51年8月20日当コーナーで東北某県の〝生首の掛け軸〟に纏わる怪の放送中にフリップで説明していた三遊亭夢丸師匠(現在・夢八師匠)の背後画面に映し出された二つの掛け軸の一つ、武士の生首の目が開いているという怪異が起こり視聴者からの問い合わせが殺到したという放送事故まで発生。この掛け軸に纏わる怪はとても不気味なもので、掛け軸を開いた瞬間に所有者の自宅のガラス窓に数匹のカラスが体当たりしたという話や保管していたタンスの中から夜中に呻き声が聞こえるなどという奇異を伝えていた生放送中の怪異であった。今尚、この現象については謎のままだという。

この掛け軸に纏わる現地リポートも兼ねていた三遊亭夢丸師匠は、この件に携わっている間、奥様の枕元に何者かが現れたり大変だったことを後に懐述している。

私自身も当時、夏休み中だったこともありこの回をリアルタイムで観て夜眠れなくなった小学2年の夏であった。

ちなみにその時の司会進行は金曜日担当をE・H・エリックさん(俳優・岡田真澄さんの実兄)から引き継いだ悪役を得意としながらも司会進行は控えめで出演陣を盛り立てていた俳優の田中浩さんであったことを記しておく。田中浩さんと言えば昭和のちびっこ世代にとって丸大ハムの「「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーの父と息子が織りなすCMシリーズでご存じだろう。

その他には、伝説と化した宇宙人と遭遇し肩を掴まれパニックに陥った子どもたちやUFOと思しき物体まで複数人が目撃した「甲府事件」なども取り上げていたことも記憶している。

その〝生首の掛け軸〟の映像を後に紹介された映像がこれです。

生放送中に襲った怪異映像☜クリックしてご覧あれ
貴重ともいえる映像をUpされた投稿者に感謝!!

スポンサーの意向やコンプライアンスで苦しむ地上波テレビ

いつの間にやら地上波テレビはスポンサーの意向やさらにコンプライアンスに煩い視聴者を気にし始め、このような〝人間臭さ〟漂う刺激的番組がなくなってしまった。
テレビが茶の間の娯楽となって半世紀以上の歳月が流れ、このままでは存続さえ危ぶまれるコンテンツになるとは、かつての昭和のちびっこは夢にも思わなかった梅雨の日。

今回はこのあたりで締めさせて貰います。

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