昭和歌謡界激変!!大滝詠一のアルバム「A LONG VACATION」

1978年製 マランツ社(米国)のラジカセでよく聴いていた「A LONG VACATION」(イメージ画像:Pixabay/Unsplash)

それは昭和56年(1981年)3月21日から始まった

2021年3月21日にアルバム「A LONG VACATION」発売40周年記念として、大滝詠一さんが生前遺した楽曲が、サブスク解禁となった。

それに先駆けた3月3日には、YoutubeでアルバムのOPを飾った「君は天然色」の公式MVを発表。現在(4月9日時点)で410万超の視聴回数を叩き出している。

40年前の楽曲が僅か1ヶ月で410万回数超になることは稀であり、さらに「A LONG VACATION」40th Anniversaryが先週ではあるが、週間売り上げNo.1にまでなってしまった。

このアルバムは81年リリース以降、節目になると再発され話題となる恐ろしいアルバムで、収録された楽曲が巷に流れ始めた81年当時、私自身も大滝さんが織りなす音楽に今迄の昭和歌謡とは異なる胸躍らずにはいられない風を感じた。その時、私は小学校を卒業したばかりの12歳であった。(歳がバレちまう😅)

アルバムジャケットから漂うBLEEZE感「A LONG VACATION」

日本歌謡界に於けるアルバムジャケットは、アルバムの主人公とも言える歌手やグループなどを前面に押し出したジャケットが殆どであったが、大滝詠一さんの場合、ご本人は姿を現すことはなくアルバム全体の雰囲気を伝えるアートともいえるお洒落なジャケットであったことも特筆すべきことだろう。

※「ALONGVACATION」以前にアート的要素を全面に出したジャケットが全くなかったわけではない。大滝詠一さんと山下達郎さん共同プロデュースにより昭和50年(1975年)にリリースされたシュガーベイブの名盤「SONGS」は金子辰也氏が手掛け、同年リリースの松任谷由実さんの「COBALT HOUR」はペーター佐藤氏がエアブラシで松任谷由実さんをモデルに描いたイラストジャケット、さらにペーター佐藤氏は昭和52年(1977年)にリリースされた山下達郎さんの2枚目のアルバム「SPACY」のデザインも手掛けている。山下達郎さんは大滝詠一さんに先駆け昭和55年(1980年)リリースの「COME ALONG」は鈴木英人氏が描いた紺碧の空の下を走る爽快感漲るバスのイラストジャケットも印象的だ。「COME ALONG」は当時はカセットのみで発売されたが、平成29年(2017年)にリマスター化されCDで再発されている。

大滝さんをメジャーな存在に押し上げることなった第一弾ともいえる「A LONG VACATION」のジャケットを手掛けたのはイラストレーターの永井博氏であった。今回、サブスク解禁に先駆けYoutubeで公開された「君は天然色」のMVも当時、永井氏が描いたイラストが動画となって甦り、当時、胸躍らせた者たちを歓喜させるものになっている。

「A LONG VACATION」前後の日本歌謡界

大滝さんの音楽人生の出発となった〝はっぴいえんど〟の仲間だった細野晴臣さん、高橋幸宏さん(元サディスティック・ミカバンド)、坂本龍一さん(若手スタジオミュージシャンの鬼才)によるトリオ編成のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が結成された昭和53年(1978年)に海外を視野に入れた活動が功を奏し大人気となる。その後逆輸入という形で日本の音楽界を席巻。

YMO出現とともにテクノポップというジャンルが日本に定着し、平沢進さんが在籍していた「P-MODEL」80年代後期の日本の音楽界を激震させたBOØWYやTHE BLUE HEARTSなどを手掛けた名プロデューサー・佐久間正英さんが在籍していた「プラスチックス」そしてそして当時の若者の間で人気を博した劇団・東京キッドブラザーズ出身だった巻上公一さんが主宰した劇団ユリシーズから誕生しヴォーカルを務める「ヒカシュー」などが姿を現し日本の茶の間の若者たちを摩訶不思議空間に誘い始めた。

昭和43年(1968年)にカルト的人気を博していたハードフォークの雄・RCサクセションが昭和52年(1976年)リリースのアルバム「シングルマン」を最後に活動停止を余儀なくされ、その3年後、昭和54年(1979年)にロックバンドとして新曲「ステップ/上を向いて歩こう(坂本九さんの名曲のカバー)」で再始動、昭和55年(1980年)に敢行した屋根裏での4日連続ライブで最高動員数を叩き出し奇跡の復活を遂げたRC・サクセション。その後、彼らは日本ミュージックシーンで大暴れ。

大滝詠一さんが美しい高音で巧みな歌声で魅了している青年がいるという噂を聞きつけ、プロの道へ〝やらないか?〟と誘った山下達郎さんがシュガーベイブ解散後、ソロへと転向し自らも出演した日立マクセルカセットテープのCMソングとして起用された「RIDE ON TIME」がスマッシュヒット。このあたりから日本歌謡界の新陳代謝が徐々に高まり始めたことを、当時、小学生だった私にも肌で感じるものがあった。

日本の高度経済成長に冷や水を浴びせた第一次オイルショックの年、昭和48年(1973年)にデビューした山口百恵さんが戦後の影をまだ引きずっていた日本を宇崎竜童さんと阿木燿子さんによる夫婦とタッグを組みヒットを連発。ある時は菩薩のような柔らかな歌(アリスの谷村新司さんやさだまさしさんの楽曲など)、またある時は鬼神のような激しい熱情的な歌(宇崎&阿木の夫婦楽曲)で日本に活気与え、ある意味役目を終えることを悟ったかのように昭和55年(1980年)、結婚を機に引退、舞台上にマイクを返上。その一つの終焉を異なる形で継承し爽やかな春風の如く松田聖子さんが颯爽と現れた。

※ちなみに大滝詠一さんは山口百恵さん「哀愁のコニーアイランド」、松田聖子さん「風立ちぬ」同名タイトルのアルバムのプロデュースで両方に楽曲を提供している

春風の様な松田聖子さんとソニーレーベル(聖子さんはCBSソニー、佐野さんはEPICソニー)から同年に佐野元春さんが「アンジェリーナ」でデビューしたのも何か縁を感じる。

70年代、隅に追いやられ燻っていた若者たちのエネルギーが一気に爆発したそんな昭和55年(1980年)。これから先の日本のミュージックシーンは一体どんな風景を我々に魅せつけていくのかという〝高揚感〟すらあった。

そして・・・あの日がやって来るのである。昭和56年(1981年)3月21日が・・・・・

アルバム「A LONG VACATION」は昭和55年(80年)の夏にリリースするはずだった。

「A LONG VACATION」は当初、昭和55年(1980年)7月28日、大滝さんの誕生日にリリースする予定であったことは、周知の事実であり、はっぴいえんど時代の仲間で作詞家となっていた松本隆氏の作詞を待っていたという。この逸話は有名なのでここでは割愛させて頂く、書き出すと涙が出そうなので・・・

大滝さんが、「君(松本隆氏)の詞じゃないとダメだから半年でも1年でも待つ」と言ってアルバムリリースを遅らせてまでも「君は天然色」を作り上げた熱意がこの曲に籠っている。

その熱い何かが、爽やかに聴く者すべての胸を打つ。永遠にこの曲は日本の巷に流れ続けていくことだろう・・・

「A LONG VACITION」を筆頭に日本の80年代に勃興した音楽が残したもの

ここ数年、海外で70年代後半から80年にかけて日本で流れていたJ-POPが流行っている。戦後、西洋音楽のシャワーを浴びた日本の若者たちが西洋のロックやソウル、ポップスに日本の情緒を融合させた音楽が、異国の人たちの胸を打つ。なんて素敵な現象なのだろうと勝手ながら大滝さん筆頭に当時、我々の胸を躍らせてくれたアーティストたちに拍手と感謝を贈りたい

ロンバケ イメージ画像

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