昭和40年(1965年)以降から一般家庭の電話の主流だった600型電話器画像は卓上型。壁掛け型もあった(画像:ACより)
昭和後期のマストアイテム電電公社の黒電話
かつて日本には三公社五現業という公共企業体及び国の経営する企業の存在があった。そのうち三公社の一つが日本電信電話公社(略称:電電公社)であった。
電電公社は昭和60年(1985年)の民営化により日本電信電話株式会社となった=現在のNTTグループである。
電電公社時代に一般家庭に普及していた電話の主流は600型と言われる黒電話だった。ダイヤル式で「モジュラーコンセントは何者だ?」という時代だった為、
電話線の取り外しもできない完全無欠の〝固定電話〟であった。
国営の黒電話と言えども各家庭に個性があった。
電電公社の黒電話を家庭に取り付ける前に、電話加入権が必須で設備料(現在の施設設置負担金)を支払わなければ自宅に電話回線を引くことができなかった。
設備料は昭和52年(1977年)当時は80000円。昭和60年(1985年)民営化後は72000円に改定☞平成17年(2005年~)36000円に改定されている。
昭和50年代は費用の高さもありTV、冷蔵庫などの家電と同じく後生大事に扱わなければならない〝暗黙の了解〟があり、各家庭で黒電話にお洒落な衣装(テレフォンカバー/ファッションカバー)で着飾らせる家や受話器に良い香りのする取り付け型の芳香剤を装着する家、卓上型の電話に取り付けることができる待機中に流す専用オルゴールなど派生グッズの出現により各家庭の黒電話が個性豊かとなった時代でもあった。
テレフォンカバーは今で言う〝スマホケース〟みたいなものだと言えば理解して頂けるだろうか・・・
派生グッズをこの目で確かめたい人は各々で検索してご覧あれ
昭和の電話事情 アナログ回線であるが故の混線(漏話)実体験
昭和50年代後半、夜になると中学校の友人と電話で会話する機会が多くなり会話中に突然、若い男性二人の会話が入り込んできて4人で会話状態に陥ったことがあった。
奇しくもその割り込んできた男性二人の声の主は、姉の同級生と判明。友人同士の内緒話を聞かれてしまった事案が発生し冷や汗をかいてしまった記憶がある。
当時としても、電話の混線発生は珍現象なのだそうだが、同時に4人会話を体験できたことは、貴重過ぎて喜ぶべきことなのか悲しむべきかそれもまたいい思い出である。
現在もアナログ回線の電話は健在だが、電柱内に引かれたケーブルの進化によりそのような混線が発生することはほぼゼロだそうでご安心を・・・
昭和の電話事情2 電話加入権取得とともに容赦なしの個人情報開示 恐怖の50音別電話帳
現在のように個人情報と言えば、漏洩すると大問題になるが、当時は個人情報という概念さえ希薄で、ある意味大らかな時代だった昭和。
そんなご時世であったため、電話加入権を取得し固定電話を取り付けた世帯には逃れられないものがあった。それは人名別の〝50音別電話帳〟
都道府県ごとに当時の電電公社が年に一度配布していた電話帳である。その電話帳には2種類あり〝職業別電話帳(昭和58年<83年>タウンページ)〟と問題の〝50音別電話帳(昭和58年<1983年>ハローページ)〟の2冊が電話加入権を持つ世帯に配布されていた。
〝職業別〟は公的であるため寧ろ広告的要素があったものの電話加入権を持つ契約者の個人情報が容赦なく載ってしまう〝50音別〟でトラブルが多発していたことは否めない。市町村別に目次があり50音別順に加入している契約者の氏名、住所、電話番号がズラリと記されているのだ。
トラブルで一番多かったのはいたずら電話であり、特に契約者氏名が女性の場合そのトラブルに巻き込まれるケースが多発。平成13年?(2001年頃?)掲載拒否と配布停止を依頼できるようになった。
令和2年(2020年)6月18日にNTT東日本、NTT西日本は50音別電話帳(ハローページ)の配布数・掲載数が大きく減少していることから、令和3年(2021年)10月以降に発行・配布を最後に終了することを発表した。
ダイヤル式電話に纏わる名曲
- 「恋の6700」昭和48年(1973年)フィンガー5
~明日は卒業式だから これが最後のチャンスだよ 胸の震えを抑えつつ 恋のダイヤル回したよ🎶~ - 「影になって」昭和54年(1979年)松任谷由実 アルバム「悲しいほどお天気」収録
~指が痛いほど 残らずダイヤルしたけど 呼び出しの音だけが 耳の底にくり返す🎶~ - 「ウィンター・ガーデン」昭和55年(1980年)松田聖子 アルバム「North Wind」収録
~不安な気持ちが ダイヤル回すの 遅れたことないのにまだなの🎶~ - 「ダイヤル177」昭和56年(1981年)野口五郎
~回すダイヤル177 天気予報に相槌を打つ 曇りのち雨177 どうせ降るなら 嵐にしておくれ🎶~ - 「涙のリクエスト」昭和58年(1983年)
~最後のコインに祈りを込めてミッドナイトDJ ダイヤル回すあの娘に伝えて まだ好きだよと🎶~ - 「恋におちて-Fall in love-」昭和60年(1985年)小林明子
~ダイヤル回して 手を止めた ~I'm jast a woman Fall in Love🎶~ - 「過去からの手紙」昭和60年(1985年)薬師丸ひろ子 アルバム「夢十話」収録
~淋しさに 耐えかねて ダイアル回す 手が何故か 震えてる🎶~
最後に小ネタとしてダイヤル式電話が当たり前だった時代に流行した歌をいくつか紹介
切ない曲が多いような気がするのは気のせいかな・・・😅。
自分の記憶にあるものをざっと挙げてみましたが偶然にも民営化(NTT)された昭和60年(1985年)を最後にダイヤルが含まれる曲が消滅したように思うのは私だけだろうか?
昭和61年(1986年)以降にも歌詞にダイヤルの入った楽曲があるのかもしれないが・・・思い浮かばないのでお赦しを
電電公社民営化は遠くなりにけり・・・