(画像:Pixabay)
破壊力・中
恐怖!あなたを誘う死語の世界の第2弾。前回の破壊力・柔篇からの破壊力・中篇を紹介しよう!(あくまでも主観)
- アベック
- 「アッと驚く 為五郎」
- 「あたり前田のクラッカー」
- 「あんた あの娘(こ)のなんのさ~♪」
- エッチ
- 「お呼びでない×2 これまた失礼致しました」
- Oh!モーレツ
- オヨヨ
- 「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」
- ガチョーン
- 「キビシーイッ!」
- キッス
- (黒い)ピーナッツ
- 5時まで男・5時から男
- 「結局南極放送局からコマーシャル」
- ゴーゴー喫茶
- サイケ(デリック)
- ナウい/「ナウなヤングに大ウケ」
- 「バカウケ ややウケ ドッチラケ」
- マル金マルビ
- 〇〇族
- 「めちゃめちゃ陰気やでぇ~」
フランス語で「~と一緒に」を意味する前置詞。英語の〝with〟に相当。「二人一組」「恋人同士」を指す言葉。
昭和44年(1969年)、ショートコントを中心にした番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!(日本テレビ系列)」のコントとコントの狭間に挿し込まれるハナ肇さん(クレイジーキャッツのリーダー)が「アッと驚くタメゴロー♪」と節をつけて言うだけそれだけのものなのだが、ハナ肇さんがヒッピーファッションに身を包みそれに似つかわしくない浪曲調の節回しのその言葉がお茶の間を笑いの渦に巻き込み社会現象となった。当然、この言葉も流行語となり、タメゴロー関連のコミックソングや映画なども制作された。
昭和37年~昭和43年(1962年~1968年)に放送「てなもんや三度笠(朝日放送制作/TBS系列放送)」の劇中で主演の藤田まことさんが突然、「あたり前田のクラッカー」と言って懐から前田のクラッカーをカメラに向けて言い放つのがお約束だった。番組の提供は前田製菓一社だったこともあったため、生コマーシャル風に劇中の台詞にキャッチコピーを盛り込んでいた。
昭和50年(1975年)に大ヒットしたダウンタウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童)」のキメ歌詞。当時のTVドラマやバラエティ番組でもよくこの言葉が飛び交っていた。
語源は変態をローマ字表記したHENTAIのHとされ、明治時代は女子学生の間で性的な隠語として使用。大正時代になると同性愛を指す俗語でもあった。昭和40年代から50年代初め(1965年~1979年頃)にかけ、ドラマやアニメの台詞などに、健全な女子に不届きな行為をする者に対し「エッチ!」と罵倒する描写が頻繁にあった。その言葉から派生した代表格に「エッチ・スケッチ・ワンタッチ・お風呂に入ってアッチッチ」がある。80年代に突入とともに訪れた漫才ブームから人気となった島田紳助さん、明石家さんまさんが性行為=セックスをぼかすためエッチという言葉を駆使するようになった。正直、軽くメディアで飛び交い過ぎて不快な言葉の使い方の一つだった。
昭和36年~昭和47年(1961年~1972年)に日本テレビ系列で放送されていた音楽バラエティ「シャボン玉ホリデー」の生放送にて、植木等さんの運転手兼付き人時代の小松政夫さんが植木さんに誤った出番を伝えてしまい、コントとは場違いな格好の植木さんが登場し咄嗟に発したアドリブだったと生前の植木さんが折に触れその逸話を面白おかしく話されていたが、小松さんが付き人になる以前からあったギャグで、小松さんの名を売るためその話をいつの間にか信じ込んでいたのでは?と小松さん自身が懐述している。さらに「親父さん(植木さん)はそんな間違いをする人ではない。(出番ぐらい自分でわかっている人)」とまで植木さんの死後に語っている。
昭和44年(1969年)白いマイクロミニのコスチュームで風に煽られパンチラを披露した小川ローザさんが時の人となった丸善石油(現:コスモ石油)の「丸善ガソリン100ダッシュ」のCMのキャッチコピー。
CMソングを歌ったのは弱冠17歳のしばたはつみ(当時ははつみかんな名義で活動)さん。コーラスはアニメ「妖怪人間ベム(昭和43年<1968年>)」の主題歌や伝説的迷曲「オー・チン・チン(昭和44年<1969年>)(作詞:里吉しげみ/小林亜星)」で卓越したハーモニーで我々を魅了したハニー・ナイツ。演奏は昭和時代の音楽番組で活躍、「ザ・ベストテン(昭和53年~平成元年<1978年~1989年>)」ではランクインする数多の歌手の演奏務めた宮間利行とニューハードという何とも贅沢な組み合わせであった。
※迷曲「オー・チン・チン」の作詞を手掛けた里吉しげみ氏の妻はイラストレーター兼タレントだった水森亜土さんだ。「ザ・ベストテン」のOPテーマを手掛けたのは服部克久氏。服部克久氏のご尊父は戦前、戦後にかけ多くの流行歌を生み出した服部良一氏(「銀座カンカン娘」「蘇州夜曲」など) 御子息(良一氏の孫)の服部隆之氏はドラマ「王様のレストラン(フジ 平成7年=1995年)」「半沢直樹(TBS 平成25年=2013年・令和2年=2020年)」など多くのドラマ音楽を手掛けている。
昭和48年~昭和59年(1973年~1984年)にかけ放送されていた「パンチDEデート(関西テレビ)」で西川きよし師匠とともに司会を務めていた桂三枝(現:6代目桂文枝)が何かと発していた言葉。
昭和9年~16年(1934年~1941年)にかけて日活で10篇が制作されたトーキー作品「元禄忠臣蔵」で大石内蔵之助役に扮した当代切っての銀幕のスタア・大河内傳次郎さんの故郷・福岡豊前市の訛りがほのかに残る不明慮な台詞回しが〝オヨヨ〟に聞こえたことが元になっている。
「パンチDEデート」はタイトル通り、きよし師匠と三枝師匠が一般参加の男性と女性の間を取り持つお見合い番組で構成。男女の間をカーテンで仕切り姿を見せないようにし、男性側にきよし師匠、女性側に三枝師匠がお互いの魅力を引き出しアピールさせるものであった。時折、出演した一般女性がカーテンの奥にいる男性にアピールする為、ドッキリするような発言をした瞬間に〝オヨヨ〟と言って場を和ませる効果抜群の言葉であったことは間違いない。
森村誠一氏のベストセラーとなった原作「人間の証明(昭和50年=1975年 角川文庫)」が昭和52年(1977年)に映画化され、本編で鍵となる西條八十の詩「ぼくの帽子」の一文であり、この一文が映画のキャッチコピーにもなった。この一文は当時、ドリフターズのコントでも使用されたりとにかく頻繁に耳にした一文であった。大正11年~昭和19年(1922年~1944年)まで創刊された児童文学雑誌「コドモノクニ」大正11年2月1日号に掲載された詩が時代を超え、昭和50年代に推理小説の鍵の一文となり、映画化の際にはキャッチコピーにまでなった。この作品はかなりヘビーな内容なので観た後はかなり〝やるせない気持ち〟になる作品である。
TV創成期から芸能界を牽引していたと言っても過言ではないクレイジー・キャッツのメンバー・谷啓さんの一発ギャグ。このギャグが誕生した当初は「ガチョン」であり伸ばさなかったとある。
コントに無理やりオチをつける時に駆使していた魔法の言葉。谷さんの一発ギャグは他にも「ビローン」「ムヒョー」がある。谷さんが発したギャグの中で「ハラホロヒレハレ」があるがクレイジーの面々が好んで使っていた。
昭和37年~昭和43年(1962年~1968年)に放送「てなもんや三度笠(朝日放送制作/TBS系列放送)」に 浪人・蛇口一角☞桜富士夫と役柄を変更しレギュラー出演していた吉本新喜劇に所属していた時代の財津一郎さんのギャグ。財津さんは後に俳優、歌手としてマルチに活躍されていたが、2011年以降はオファーをすべて断り続けている。平成9年(1997年)頃に撮影された「タケモノピアノ」のCMは現在も絶賛放映中
昭和時代は〝キス〟のことを〝キッス〟と言っていた。
昭和51年(1976年)2月に明るみとなった大規模汚職事件・ロッキード事件から派生した流行語。丸紅ルート疑惑で、総合商社・丸紅からロッキード社に渡された領収書にピーナッツ100個などの暗号が記載、検察の調べでピーナッツ1個が100万円を意味するものと解明。その他Pieces、unitなどの暗号領収書も噴出し、とりわけ〝ピーナッツ〟が流行語となった。
昭和62年~平成7年(1987年~1995年)まで栄養ドリンク・グロンサン(中外製薬☞LIONに販売移管)のCMキャラクターを務めた高田純次さんが昭和62年の放映Verのキャッチコピーが軽薄なノリに定評のあった高田純次さんのキャラクターと相まって「5時まで男・5時から男」が日本中を席巻する。翌年のVer以降からは「5時から男」に絞り込み、同年、新語・流行語大賞を受賞。
5時まで男は仕事一筋、5時の退社後はクタクタで自宅へ直行する男。5時から男は勤務中はほどほどに退社した瞬間に元気炸裂アフターファイブを満喫する男。という意味。
昭和50年代(1970年代中頃はっきりした年は失念。)松下電工(商標:ナショナル☞現在:パナソニック電工)から発売されたエアコン・クール・クールのCMキャッチコピー。この時のCMのサウンドロゴは、唱歌「夏は来ぬ(作詞:佐佐木信綱/作曲:小山作之助 明治29年(1896年)5月刊行の【新編教育唱歌集(第五集)】発表)」の♪~夏は来ぬ~♪の部分を♪~夏はクール~♪ともじって使用されていた。
昭和40年代(1960年代~70年代初め)にかけて流行したディスコ・ブーム前のヤングの社交場。エレキバンドの演奏に合わせ、ミニスカートにブーツのゴーゴー・ガールズが退廃的とも言えるダンスを踊ったり、サイケファッションに身を包んだ若者たちが挙って上手いのかそうでないのかどっちつかずなダンスを披露していた音楽系喫茶。現在のクラブに相当。当時としてはそれでもイケてた部類の若者が集う場所だったのだろう。
所謂ドラッグ使用時の心理的感覚、幻想などで視界に浮かび上がる極彩色の幾何学模様や渦巻きなどの視覚・聴覚の感覚の形容表現、当時、若者の間で流行したファッション。
「しんずれい(失礼)致しました」
昭和を代表する超人気生放送番組「8時だヨ!全員集合(昭和44年~昭和60年<1969年~1985年 TBS系列>)」の警察コントなどで巡査役の加藤茶さんが掌を裏返した敬礼をしながらやっていたお約束ギャグ。
毎週土曜のゴールデンタイムの生放送ということもあり、ドリフの面々の体調を気づかったのか昭和46年の4月~9月の2クールを先輩グループのクレイジー・キャッツがメインを務めた「8時だョ!出発進行」が放送された。この番組も生放送でコントを披露する同じ構成だった。私はクレイジーメインの出発進行を激しく観たい一人である。
「今」「その時」を英語でNow その言葉を形容詞化した言葉。昭和50年代中頃から末期(1970年代後半から80年代前半)にかけて、若者の間で頻繁に使用されていた言葉。現在は度々、ギャグ交じりに使用される。
ハレンチ(破廉恥)
昭和43年~47年に「週刊少年ジャンプ」に掲載された永井豪氏原作の「ハレンチ学園」が社会的に物議を醸しながらも、人気を博しタイトルのハレンチという言葉が流行語となった。その人気に乗じ児島美ゆきさん主演で東京12チャンネル(現:テレビ東京)で昭和45年~46年(1970年~71年)にドラマ化され、児島さんは人気女優の仲間入りを果たす。藤村俊二さんや左卜全さんなども出演していた。
昭和50年~55年(1975年~80年)にフジテレビ系列で放送されていた「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の一般視聴者のハガキ投稿コーナーで、観客の爆笑度合いで〝バカウケ〟〝ややウケ〟〝ドッチラケ〟で評価していた一般視聴者のハガキ投稿コーナーから派生した流行語。特に大爆笑の投稿に与える〝バカウケ〟が流行語となった。この言葉は芸人たちの間で長年使われていた隠語だったという。スベってしまった評価のドッチラケはシラケが語源である。土曜の夜8時枠はTBS「8時だョ!全員集合」の独壇場であったが、他局の番組の中でも萩本欽一さんの番組は健闘していた。この番組の前進はなんとラジオ放送「欽ちゃんのドンといってみよう!(ニッポン放送)」だった。ラジオからTVへと移行したバラエティ番組であった。昭和56年~58年(1981年~1983年)には装いも新たに月曜9時の放送枠へ移動し後継となる「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で高視聴率を叩き出すお化け番組化した。萩本欽一さんの冠番組では現在、脚本家の三谷幸喜氏「古畑任三郎シリーズ」や君塚良一氏「踊る大捜査線」が放送作家として携わっていた。
昭和59年(1984年)イラストレーター兼エッセイストの渡辺和博氏の著書「金魂巻(きんこんかん)」で職業別で成功を収めた者をマル金、鳴かず飛ばずの者をマルビと称し渡辺氏の図解で解説したことから誕生した流行語、同年、新語・流行語売大賞を受賞。
昭和時代には多くの〇〇族という若者文化が生み出された、昭和30年代(1955年~64年)に夏の浜辺で青春を謳歌しまくる暇を持て余した良家の子息子女を太陽族と呼び。現在、珍走団と揶揄される以前はカミナリ族とも呼ばれた暴走族。昭和40年代に定職につかずロン毛にジーパン姿で街(東京新宿駅東口前など)をさまよう若者のことをフーテン族。昭和30年代末期(1964年~)東京・銀座のみゆき通り界隈に屯するイケてるファッション(「VAN」や「JUN」の紙袋を持ちアイビールックの者はアイビー族とも呼ばれ、日本の若者に於けるファッション文化の開花でもあった。)に身を包む若者たちをみゆき族。昭和50年代半ばに歩行者天国でパフォーマンスをする若者の中でひと際奇抜な衣装に身を包み社会現象にまでなった竹の子族。時を同じく第二次ロカビリーブームの最中、歩行者天国のパフォーマーの中でツイストを踊るローラー族もいた。さらに昭和55年~平成元年に当たる80年代にDCブランドの黒いアイテムを好み身を包む若者をカラス族と呼んだ。
趣旨は異なるが会社で出世コースから離れてしまった人及び関心を示さない人を指す窓際族。昭和58年(1984年)TBS系列で制作されたドラマ「くれない族の反乱(主演:大原麗子/田村正和)」の「〇〇が××してくれない」という家族に対する依存や不満を抱くのは子どもだけの特権ではなくなり主婦層にまでその感情の呪縛を抱え込むようになったというテーマが当時、社会現象となり家庭内の不満を外で発散(ドラマでは主に〝不倫〟を描いていた。)する人妻たちをくれない族と呼んだ。ドラマでは一人の主婦の反乱を描いているが、このような境地に陥る人たちは、老若男女、発散法もそれぞれ、要は「他者にばかり自分の欲求を押しつけ、己から与えることを知らない人」が陥る〝依存心〟の塊。現代の方がドラマにできないぐらい〝くれない族〟は増加しているのではと考えるほどだ。
※現在、珍走団と揶揄される暴走族の前進とも言えるカミナリ族は昭和30年代~40年代の俗語。それ以降から暴走族へと変化した。
昭和55年(1980年)に巻き起こった漫才ブームで大人気となった漫才コンビ・B&Bの島田洋七さんの一発ギャグ。ハイテンションで陰気であることを主張するギャップが当時の若者に大ウケしたギャグだった。
破壊力・中篇は以上 破壊力・強篇へとつづく・・・