昭和レトロ知育玩具の決定版・15パズル モーラーにフラれ発見!

捨てるモーラーあれば拾う15パズルありっ!!

昭和レトロ玩具で思い浮かぶのは、当時、CMで一杯食わされた〝モーラ(増田屋コーポレーション)〟を探しに近隣の玩具卸問屋に足を運び、店員さんに尋ねてみると当時のCMソングを口ずさみ興奮気味に「現在、ウチには置いてないです。すみませんっ!」と爽やかに答えてくれた。

これが一杯食わされた当時のCM動画なのだ!!
ちなみにモーラーの声を担当しているのは目玉おやじ(初代)が当たり役だった田の中勇さんである。
田の中さんは青二プロダクションの創立メンバーの一人でもあった。
モーラーCM
モーラーCM(昭和50年=1975年頃?)☜クリックしてご覧あれ

残念な気持ちを抑えつつ、店内を散策中にとんでもない懐かしいそれがあったっ!〝15パズル〟別名〝スライドパズル(以下、15パズルで書かせて頂く)〟とも呼ばれる昭和レトロ知育玩具の決定版の代物だ。

時代は令和に突入しても、それは昔と変わらず光り輝いていた。捨てるモーラーあれば拾う15パズルありとはこのことで嬉しい再会だった。

15パズル数十年ぶりに挑戦

私自身が15パズルで遊んでいたのはまだ未就学児の頃、5歳ぐらいだろうか姉たちの影響でいつしか遊ぶようになっていた。当時は割と簡単に揃えることができたが・・・

数十年ぶりにやってみるとなかなか揃わない、特に最後の4ピースぐらいで詰まってしまった。しかし3回目の挑戦で揃えることができたが25分かかってしまった。

一日に一回、脳トレ気分で遊ぼうと心に誓うのであった。

しかし、購入したこの15パズルはまったくスライドしないのでちょっと・・・がっかり。懐かしいので赦す。

15パズルには不可能な配置がある

スライディングブロックパズルの一つとされる15パズル。1874年に当時、NY州カナストタの郵便局長だったノイス・チャップマン(Noyes Palmer Chapman)が「GEM PUZZLE」として考案したのが始まりだった。一躍有名になったきっかけはパズル作家のサム・ロイド(Sam Loyd)が1878年に14と15だけを入れ替え1から15まで元通りに完成させるという難題を1,000ドルの懸賞金をかけて出題したことが発端。挑戦者が続出するも完成させ懸賞金1000ドルを手にした者はいなかった。

サム・ロイドが1000ドルの懸賞金を賭け出題した「14-15パズル」は1878年から現在に至るまで揃えた者は皆無であり、懸賞金をゲットした者もいない。これこそパズル完成は不可能とされる配置であった。

15パズルの攻略法などの解説サイトもたくさんあるので、興味のある方は是非!!

この記事を記す際、参考にさせて頂いたサイト

15パズル Wikipedia

サム・ロイド Wikipedia

15 puzzle - Wikipedia 翻訳して見てね!

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事