資生堂とセルジュ・ルタンスが放った魅惑的ノンブル・ノワールCM

※自分が勝手にイメージしたノンブルノワールのイメージ画像。セルジュ・ルタンス氏が手掛けた美しきフォトをアイキャッチにしたいのは山々でしたが・・・辛抱(Pixsabay 幻の香水と呼ばれるノンブルノワールの瓶)

1982年日仏合作初の香水・ノンブル・ノワールCM

1982年(昭和57年)、まだ多感な時期(中学生)だった私にとって忘れられないCMがあった。

資生堂の香水・ノンブル・ノワールCM。妖しい美しさに満ちた世界観にうっとりさせて貰ったものだ。残念ながらそのCMはYoutubeなどの動画共有サイトでお見受けすることは今迄一度もない。

当時のCMを思い起こさせて頂くと、漆黒の背景に妖しく瑞々しく奥深い旋律の音楽に合わせ香りの源となった花々と幻想的で美しいモデルの数々のフォトグラフが交互に映し出され、フランス語のナレーション(セルジュ・ルタンス本人によるものかは不明)がつき最後に〝Nombre noir〟の刻印が入った漆黒のボトルが映し出される魅惑的なCMだった。

※そんな雰囲気なのでこの記憶が確かかどうかは定かでないことだけはお断りさせて頂く🙇

当時、乙女だった😅私にとって衝撃的で刺激的で心震えるCM映像だった。

資生堂がヨーロッパ進出するため、フランス出身の〝美〟の巨匠ともいうべき一人の男性の創造力が不可欠だった。その人の名がセルジュ・ルタンスであった。

ノンブル・ノワールの香り一覧

トップノート5~30分[Top notes]
  • アルデヒド(aldehydes)※決して単独では香水にしてはならない成分ながら、他の芳香と交わることにより深みを与える
  • ベルガモット<柑橘類>(bergamot)※柑橘系の爽やかな香り黄昏時に似合う香りだとも言われている。
  • マジョラム<シソ科>(marjoram)※気を静めながらも元気を与えてくれる香り
  • コリアンダー(coriander)※スパイシーな甘さと官能的な香り
  • ローズウッド(rosewood)※爽やかでフルーティーな香り
ミドルノート3時間~4時間[Middle note(heart notes)]
  • キンモクセイ(Osmanthus)※ほのかに甘く上品な香り
  • ローズ(Damask rose)※優雅な心安らぐ香り
  • ジャスミン(Jasmine)甘さと爽やかさが一体となった華やかな香り
  • アイリス<ニオイイリス>(German iris)※ゴージャスなパウダリーな香り
  • ドイツスズラン(Lily of the valley)※爽やかな清楚な香り
  • ゼラニウム(Geranium)※バラに似たフローラルな香り
  • カーネーション(Carnation)※スパイシーなフローラルな香り
  • イランイラン(Ylang ylang)※濃厚かつあと引く甘い香り。媚薬にもなる驚異の香り 〝花の中の花〟は伊達ではなかった。
べースノート12時間[Bese notes(Last notes)]
  • アンバー<マッコウクジラの結石>(amber)※龍涎香と呼ばれる古くから香水に使われていた希少な成分。媚薬にも使用されていた。
  • ムスク<ジャコウ>(musk)※ジャコウジカの腹部から分泌する成分(乾燥させアンモニア臭を抜く)。柔らかな温かみのある香り現在は合成ムスクが一般的となった。
  • はちみつ(honey)※お馴染み甘い香り
  • サンダルウッド<ビャクダン科>(sandalwood)※爽やかな気分になる香り
  • ペチバー<イネ科>(vetiver)※香り自体は地味ながらベースノートには欠かせない花束で言えばかすみ草的存在
  • ベンゾイン<エゴノキ科 安息香>(benzoin)※ゆったりとした気分にさせる香り
  • トンカビーン<マメ科>(tonka bean)※バニラの香りに似た甘い香り
  •  

これだけの香りを最高のものに仕上げる微調整たるや・・・気が遠くなるほどの調香だったことであろう・・・

セルジュ・ルタンスの横顔

1942年(昭和17年)3月14日フランス・リール生まれ。今年78歳になるヘアスタイリスト、ファッションデザイナー、写真家兼映像作家、香水クリエイター、コスメティックのプロデュースなど多岐に渡る〝美〟のオールラウンダー的存在である。

14歳の時に美容院に弟子入りしこの時既に、友人などを被写体にヘアメイクを施しポーズや衣装を身に付けさせ写真を撮ったり、3次元から織りなす〝美〟を探求するようになっていた。

1962年(昭和37年)にファッション誌「Vogue」の専属ヘアメイクアーティストに抜擢。60年代はリチャード・アヴェドン、ボブ・リチャードソン、アーヴィング・ペン(3人とも米国出身)などの写真家との共同作業に刺激を受けていく。1967年(昭和42年)にクリスチャン・ディオールのヘアメイク担当となるが、クリスチャン・ディオールのヘアメイク担当者はスーツにネクタイという正装スタイルでないとNGだった慣習を破り、タートルネックのセーターにロングヘアのビートニクスタイルでヘアメイクを任された初の人だった(フランソワーズ・モレシャンさん談)。1973年(昭和48年)NYのグッケンハイム美術館にてヘアメイク、デザインを施した写真展を開く、その写真の数々は絵画の巨匠・モネやピカソ、スーラ―、モディリアーニなどに触発されたものであった。

1974年に短編映画「LesStars」2年後の1976年に「Suaire」を制作。2つの作品はカンヌ映画祭で上映された。

80年代に入ると、資生堂とタッグを組んで日仏合作の香水・ノンブル・ノワールを皮切りに化粧品をプロデュースしていく。2000年、自身のブランド「パルファム-ビュートセルジュルタンス」を立ち上げ、自らの名を冠にした香水を発表。現在はモロッコ・マラケッシュに在住。

※若い頃はクリスチャン・ディオール側からのスーツ着用の要求に首を縦に振らなかったビートニク兄貴であったが、世界的名声が高まるにつれ、パリッとスーツを着こなす洒落おじになってしまったことは内緒だ

幻と称される香水・ノンブルノワール

80年代(昭和55年~平成元年)に突入するとともに資生堂はヨーロッパへの販路拡大を視野に、セルジュ・ルタンスと契約。コラボレーションの第一弾が香水・Nombre noir(ノンブルノワール)だった。

フランス・パリの百貨店ギャラリーラファイエットで売り場が設置され、販売員も黒ずくめのユニフォームでヨーロッパ販路への第一歩を踏み出した。そこに居合わせた後に「香りの帝王」と称される世界の香水1437種類を評論した『世界香水ガイド(邦訳・原書房)』の著者であるルカ・トゥリン氏が一吹きで恋に落ちてしまった香りと絶賛した香水だった。

※1981年(昭和56年)にヨーロッパで先行販売、翌年の1982年(昭和57年)に国内での販売が開始された。

監修するセルジュ・ルタンスの〝香水以上のものを〟という思いを受け、調香に携わった当時資生堂に所属していたジャン・イブ・ルロワ氏はノンブルノワールの調香に心血を注いだ。

しかし、ボトルから香水が滲み出るアクシデントとワシントン条約によりジャコウ(動物由来)が入手できなくなってしまうというダブルの悲劇に見舞われ、僅か1年でノンブルノワールは廃盤になってしまった。セルジュ・ルタンスの思いに応え、香水以上のものを実現させたはずの調香師・ジャン・イブ・ルロイ氏はこの香水だけを世に放ち2004年、自ら命を絶ってしまった。

僅か1年の発売期間であったこと、香りの高さもあり、今も尚空のボトルだけでも高値がつく幻の香水となってしまったようだ。

多感な時期に心震えた一つのCMということで今回、このように綴らせて頂いているのだが・・・私自身、香水や化粧品に疎いため、このような経緯があることを全く知らなかった。どんな立場であれ、どんな職業であれ真剣に向き合っている人々の〝熱情〟〝一途さなるが故の脆さ〟〝深さ〟を思い知らされた。

自然由来に拘り、ひと雫に情熱を傾けた結果だったのだろう

資生堂とセルジュ・ルタンスの飽くなき美の追求

第一弾のノンブルノワールの廃盤の悲劇を拭うかの如く、INOUI COLORSシリーズでセルジュ・ルタンスが監修した新色のコスメを発表し、魅惑的なCMをいくつか残して頂いた。

その中でもマーラー交響曲第10番 アダージョをBGMにした〝ゆらゆらと・・・セルジュ・ルタンスの夢見心地〟のキャッチコピーが素敵なインウィのCMが印象的だ。冒頭からヤラれてしまう「うっとり」せずにはいられないCM映像だった・・・

現在、ザ・ギンザ資生堂にセルジュ・ルタンスの香水も取り扱われており、オンラインショップも開設されている。

高校時代、帰る途中化粧品店の店内に貼ってあったセルジュ・ルタンスの資生堂広告ポスターを足を止めて見つめるのが癖になってしまい・・そのお店で洗顔フォームや制汗デオドラントを購入し帰ろうとしたら、お店の人に「いつもポスター見ていたよね?好きなポスターあげるよ」と言われ迷わずセルジュ・ルタンスのポスターを言葉に甘え頂いた。忘れられない良い思い出だ。

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