九州・鹿児島に銘菓ありその名は兵六餅(ひょうろくもち)
鹿児島にあるセイカ食品から発売されているお菓子の代表格と言えば〝ボンタンアメ〟〝南国白くまアイス〟などが有名ですが、知る人ぞ知る銘菓がまだある。
その名は〝兵六餅(ひょうろくもち)〟
南国名物「兵六餅」が誕生したのは遡ること89年前の昭和6年(1931年)。鹿児島製菓時代に創業者が鹿児島の毛利正直著作の郷土文学(戯作~冒険ファンタジー~)「大石兵六夢物語」架空の主人公の名前が由来となった銘菓である。
浮世絵風のパッケージは誕生当初からマイナーチェンジ(薩摩名物から南国名物に変更)しながらもイメージはほぼそのまま薩摩兵児(さつまへご)の大石兵六が〝大蛇退治〟に向かう勇ましい後姿が今もパッケージを飾っている。
戦時中の昭和18年(1943年)に昭和の喜劇王・エノケンこと榎本健一氏主演で大石兵六を主人公にした獅子文六原作「兵六夢物語(東宝)」が映画化もされている。この作品の特殊技術担当が円谷英二氏(当時のクレジットでは圓谷英一となっている。)さらに制作主任担当が市川崑氏であることに驚かされた。
GHQ占領下、進駐軍にパッケージ変更を迫られる
戦時中の空爆により、工場も失い閉鎖を決断し焼き付いた金庫から辛うじて焼失を免れた帳簿や通帳を取り出し従業員に、給料や退職金を支払った。終戦を迎えた昭和20年(1945年)に鹿児島市内の9割が焦土化した工場跡に廃材を駆使し小さな建物を構え復興の第一歩を踏み出した。昭和24年(1949年)に今回のテーマとなる〝兵六餅〟の誕生から変わらぬパッケージで発売再開をしようとしたところ、地元に駐屯している進駐軍から〝待った〟がかかった。パッケージの兵六の脇差、長い日本刀と褌(ふんどし)が問題だと、日本刀をなくし、褌からパンツ(申又「さるまた」)に変更すれば発売再開してもよいというものであった。一抹の不安が的中し当時、交渉に赴いた二代目社長・玉川秀一郎氏は、「決して好戦的でなく、ユーモアな物語なのだ。昔の武士はみんな刀をさしていて、これは当時の風俗である」と弁明し、そこは理解して貰ったものの〝兵六の褌問題〟に至り、どうもお尻が丸出し状態に進駐軍側は難色を示すのであった〝パンツを穿かせなさい〟ときたのである。しかしそこも譲れない切羽詰まった瞬間「これはパンツをしているのだ。〝褌〟をしている。〝褌〟はジャパニーズパンツである。隠すべきところはちゃんと被っている。」と日本人の通訳担当に「あなたも日本人だったら理解できるだろう」と上手く通訳してくれと懇願。
〝隠すべきところはちゃんと被っている〟
通訳担当が日本人であったことも幸いし、どうにかパッケージのコンセプトを理解して貰い発売再開の許可が下り、交渉成功後は天にも昇るような気持ちに至ったと「玉川秀一郎氏の遺稿集」から抜粋されたものが公式のホームページに記載されている。
セイカ食品株式会社 STORYから始まるHISTORYから一部引用。
そのような経緯を知ると、兵六餅のパッケージがとても尊いものに見えてくる。
時代を超越するロングセラー〝兵六餅〟現在も発売中
〝兵六餅〟は幼少期から大好きでよく食べ親しんだお菓子だ。味は薩摩芋でも入っているのかな?と思いきや全く異なり、原料は水飴(国内製造)、砂糖、麦芽糖、もち米、白生あん、オブラート、きな粉(大豆)、海苔粉、抹茶(茶<鹿児島県産>)、でん粉/乳化剤(大豆由来)を練り合わせた創作菓子であった。
食感はもちもちしていて、歯ごたえもある和風キャラメルといったかんじだろうか?嚙み始めると口に広がる香りが堪らなく好きだ。
一粒一粒オブラートに包まれているので、そのまま食べられる懐かしい風味の何とも言えない一度口にした味は〝兵六餅〟でしか味わえない唯一無二のお菓子でもある。