昭和っ子のバレンタインデーの定番 不二家ハートチョコレート

現在の不二家ハートチョコレートのパッケージは赤のイメージ。しかし70年代当時は白いパッケージだった。(画像:70年代のCM画像/Pixabayより)
最新のパッケージは不二家ホームページ・ハートチョコレートでご覧あれ

昭和っ子の恋の鞘当て模様を彩った不二家ハートチョコレート

10月31日のハロウィン(昨年は新コロナの影響で例年のような大騒ぎはなかったが)に、押されつつある2月14日のバレンタインデー。

2010年代に入ってからは日頃、お世話になっている人に感謝を伝える的イベント色が濃くなり、贈るものはチョコレートに限らなくなった。

しかし・・・昭和時代はある意味〝肉食時代〟それはそれは毎年2月14日は、チョコを装備し目が血走り浮足立つ女子と内心そわそわのポーカーフェイス男子がちらほらする大イベントであった。

その日ばかりは学校内で〝モテ度〟がバレてしまうという男子にとっては迷惑甚だしいイベントでもあった。

そんな悲喜交々織りなす昭和時代のバレンタインデーの定番だったのが、不二家ハートチョコレートだったのである。

不二家ハートチョコレートの誕生はいつ?

誕生は意外に古く、戦前の昭和10年(1935年)に誕生し発売されたロングラン商品の一つ。奇しくも同年にチョコレートの老舗・神戸のモロゾフ製菓が、外国人向け英字新聞「The Japan Advertiser(昭和16年にThe Japan Timesに吸収合併)」で、「あなたのバレンタインにチョコレートを贈りましょう」と広告を打ったのが諸説あるが起源とされているようだ。

ただし、当時はハイソな人々の間だけに広まり、一般的に浸透はしなかった。

日本に本格的にバレンタイン・デーが浸透したのは〝最早、戦後ではない〟と耳にするようになった高度経済成長期真っ只中、生活に余裕が出来て高校、大学を目指す者も増え始めた時期であった昭和30年代後半と言われている。

戦後生まれの団塊の世代が集団就職所謂〝金の卵〟として高度経済成長を担い、経済的に豊かになった数年後の若者世代は大いに青春を謳歌できたことも容易に想像できる。

経済的に余裕が生まれたことにより、若者たちがより恋愛に対し積極的になっていくのも自然の成り行きで、時代の波にいち早く乗ったのが東京・目黒区のメリーチョコレートカムパニー(平成21年<2008年>ロッテグループ傘下となった)が昭和33年(1958年)に新宿・伊勢丹デパートで開催したチョコレート販売促進キャンペーンがバレンタイン・デーにチョコを贈ることを一般に認識させた出来事だったのではと言われている。それを皮切りに昭和30年代後半(1955年~1964年)になると2月14日に女子から意中の男子にチョコを贈る習慣が日本中に拡散され定着していった。

1970年代(昭和45年~昭和54年)に突入するとカラーTVが家庭に一台が当たり前の時代となり、バレンタイン商戦に一層拍車がかかり不二家を筆頭に競合他社が挙ってバレンタイン関連のCMが盛んに流れるようになった。

不二家ハートチョコレート
不二家ハートチョコレートCM 高校生篇(昭和49年<1974年>)☜クリックしてご覧あれ
※動画概要には1975年頃と紹介されているようですが、昭和49年(1974年)に放映されていたCMのようです。このCMソングを手掛け歌っていたのは山下達郎さん。この最初のVerのコーラスはシュガーベイブ時代ということもありともに活動していた大貫妙子さんともしかして吉田美奈子さんのお二人ではないか?と勝手ながら推測させて頂く。もし違っていたらどなたか教えて頂けると有難い。
不二家ハートチョコレートCM 神社篇 このVerは少しテンポが速い
不二家ハートチョコレートCM バレンタイン大作戦篇 昭和52年(1976年)放映 コーラスは吉田美奈子さんかな?

多様化するバレンタイン

昭和時代は、現在で言う「本命チョコ」が主流であったが、「義理チョコ」「社交チョコ」「友チョコ」。普段は購入を控えがちな高級チョコを自分自身のために贈る「自分チョコ」男性が自分の為に購入する「俺チョコ」なるものが派生し昭和時代の女子ドキドキ。男子ソワソワのバレンタインデーは遠い過去の産物となりつつある昨今である。

ひとまず、「義理チョコ」なる存在が騒がれ始めてから誰に贈ろうかどうしようかと厄介事の習慣が消え世の女子は肩が荷が下り、その日が憂鬱で仕方なかった世の男子も妙なプレッシャーから解放され良い時代になったのかもしれない。

ハートのチョコの詰め合わせ
画像:Pixabayより

今年のバレンタインは家族用と自分用に不二家ハートチョコレートでも買おうかな・・・💛

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