無法松の一生 板妻さんと裕之くん

※昭和18年(1943年)制作映画「無法松の一生」の吉岡敏雄の少年期を演じた沢村アキヲくん(長門裕之さん)と無法松こと松五郎を演じた阪東妻三郎さん
この作品のヒロイン・吉岡夫人役で出演していた園井恵子さんが誠に美しい。2年後の昭和20年8月6日、移動劇団「桜隊」の巡業先の広島で原爆に遭い8月21日放射線による後遺症でこの世を去った享年32歳

子役は大成しない定説を破った覇者たち

現在、芸能界で活躍している俳優、タレントで子役出身者はさほど珍しくなくなりましたが、子供向けと大人向けの線引きがしっかりしていた昭和の頃、子役となるとほぼ子供向けのドラマで主役として登場するパターンが多く、思春期時期に差し掛かると変声期や体毛が濃くなりあどけなさの喪失、体重増加による著しいイメージの乖離が災いし、いつの間にか我々の前からフェイドアウトしていく例がほとんどだった。

現在、第一線で活躍している芸能人の中に意外にも子役出身者の人がいる。ここではあくまでも意外な芸能人で昭和の頃に子役だった人限定で紹介して行く。

  • 風間杜夫さん(本名:住田知仁くん)
    子役時代風間杜夫さん
    ※昭和35年(1960年)映画「新吾十番勝負 第三部(主演:大川橋蔵)」殺された父親の仇を取るため、剣術を教えて欲しいと新吾に頼み込む少年役

    父親が映画配給(新東宝)の社員だったことも縁で東映児童演技研修所の一期生となる。子役として多数の映画作品に出演している。

    成長していくにつれ不安になっていたところ、共演者の米倉斉加年さんから「一生俳優をやっていきたいなら、子役は一度やめた方がいい」と助言され13歳で退団。

    中高一貫の高校に通いながら演劇部に所属。大学進学も半ば、演劇に専念するために早稲田大学第二文学部に進学するも後に退学。

    いくつかの小劇場を渡り歩き(その間、シティーボーイズの大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんらと仮面ライダーV3のアトラクションショーに参加。V3のスーツアクター担当で日本各地を巡ったとのこと。さらに一緒に同じ中華料理店でバイトする仲であった。

    シティーボーイズがあるトーク番組に出演した際、出前先でラーメンの器回収時、洗って返却しない客に対し強気で「ちゃんと洗ってくれ」と突き返していたのが風間さんだったと微笑ましい逸話を語っていた記憶あり。)

    映画やテレビドラマの出演を経ながら、つかこうへい作品の常連となる。

    人気となった舞台「鎌田行進曲」が深作欣二監督により82年に映画化決定。映画でもそのまま銀ちゃん役で出演。この作品で大ブレイクし俳優としての地位を築き現在に至る。

  • 内藤剛志さん
    ※画像発見できず

    父親がNHKの技術職員、母親が人形作家の元に誕生し、半ば強制的にピアノや児童劇団に所属させられていたという、在阪(関西地域)局制作のドラマや幾つかの映画社の作品に子役として出演していた経歴を持っていたことが判明。

    しかし、そのような環境に育った影響があったおかげで、現在の渋い内藤剛志さんが部下に檄を飛ばす刑事ドラマを拝めるのであった。まさに人に歴史あり。人は環境で育てられ、環境で何者にでもなってしまう可能性と恐ろしさを感じさせられる。

  • 真田広之さん(本名:下澤廣之くん)
    子役時代の真田広之さん
    ※昭和44年(1969年)TBS時代劇「水戸黄門第一部 第25話(旅烏の子守唄・庄内)」 旅烏の渡哲也さんを慕う勘太役。

    同じマンションに住んでいた当時、大物俳優の息子と遊んでいたところスカウトされ子役の道へ。

    子供服のモデルを経て劇団ひまわりに入団。映画では千葉真一さんや高倉健さん、テレビの「キーハンター」に夏八木勲さんがゲスト出演した際には息子役で出演。

    実生活では父親が病死。中学に進学するとともに千葉真一さんが主宰するJAC(ジャパンアクションクラブ)に入団。同時に日本舞踊も習い始める。堀越学園進学後は学業優先し芸能活動一旦休止。卒業後に本格的に俳優活動再開、現在は国際的な俳優としてご活躍中。

  • 尾美としのりさん(本名:尾美利徳くん 子役時代は尾美トシノリ)
    ※「みんななかよし」の画像発見至らず。

    同じ時間に同じ場所に通うのがイヤで、児童劇団に自ら志願。

    劇団ひまわりに所属し、「走れK-100」「ウルトラマンタロウ」にゲスト出演。初出演映画は昭和48年のドリフターズの「チョットだけョ全員集合!!」だった。

    昭和52年~53年(1977年~1978年)NHK教育テレビの道徳教育ドラマ「みんななかよし」に一年間主演を務めていた。天然パーマの生意気そうな男の子の印象が強い(尾美さん主演の「みんななかよし」はよく観ていた)。

    昭和53年市川崑監督の「火の鳥」出演をきっかけに本格的俳優の道を歩みだす。その後は大林宣彦監督の青春モノの常連で17作品に出演。さらに宮藤官九郎さん作品にもよく顔を出している。朝ドラ「あまちゃん(2013年)」ではヒロインの父親役だった。

    子役というイメージをさりげなく払拭させながら息の長い俳優へとその間にはいろいろと大変な役柄にもぶち当たってしまったが、作品、一つ一つ肩ひじ張らずナチュラルに存在するある意味子役からの成功例の見本のような俳優。

  • 6代目・片岡愛之助さん(本名:山元寛之/片岡家に養子に入り片岡寛之)
    ※残念ながら画像なし

    実家が船のスクリューを製造する鉄工所だった為、トラックなどの大型車両の搬入が頻繁であった自宅に一人で過ごさせることに身を案じ両親が思いついた妙案が習い事をさせるということだった。

    昭和52年(1977年)に松竹の児童劇団のオーディションに合格し所属。ドラマ、CM、映画、舞台(歌舞伎)などに多数出演。

    昭和54年(1979年)に放送された戦中を健気に生きる愛国少女の心模様を描いた藤山直美さん主演ドラマ「欲しがりません勝つまでは」の舞台となった町の子どもたちの一人として出演。6歳当時の愛之助(山元寛之くん)さんが映像に残されている。

    昭和56年(1981年)に歌舞伎への興味が益々強くなり、筋の良さを見た13代目・片岡仁左衛門の依頼により養子となった。実のご両親は愛之助さんが20代の頃にこの世を去っている。現在の活躍ぶりは目を見張るものがある。

  • 林泰文さん
    ※残念ながら画像なし

    昭和53年(1978年)花登筐・原作、大阪・船場を舞台にした「土性っ骨」をドラマ化した「続・あかんたれ(東海テレビ)」に子役(船場に住む子どもたちの一人?)として出演。これが初のドラマ出演となる。

    その他に「西遊記(日本テレビ/)」など多数の作品に子役として多岐に活躍していた記憶があり、特に昭和56年(1981年)にフジTVで放送された時代劇「狐がくれた赤ん坊」で大名の落胤である捨て子の善太役が印象深い。主演の田村高廣さん相手に一歩も引けを取らない演技力は子どもでありながらも役者そのものであった。それ故子役のイメージが濃厚な人物でもあった。

    ※ちなみに「狐がくれた赤ん坊」は昭和25年(1945年)に映画化されており、その時に主人公の人足の寅八を田村高廣さんの父・阪東妻三郎さんが扮し、大名の落胤である捨て子の善太役を津川雅彦さん(当時5歳の沢村マサヒコくん)が扮していた。

    しかし昨今のバイプレイヤーとしての活躍が凄まじいのでやはりここに紹介させて頂く。ドラマ「仁~JIN~」の久坂玄瑞役はお見事というしかなかった。クールな役から昨年、ネットユーザーをも巻き込み考察者の嵐が吹き荒れたドラマ「あなたの番です(日本テレビ)」のマイホームパパぶりも板についていてドラマで繰り広げられる殺人劇の傍観者的和み系家族のパパだった。

    とにかくオールラウンダーな恐ろしい俳優になっている。

    大林宣彦監督の映画「青春デンデケデケデケ(1992年)」の主役に抜擢されたことから現在の俳優としてのポジションを盤石なものにしていった。繊細な思春期や大人になる寸前の演者を撮らせたら右に出る者なし。そんな大林監督の注文に応えることができる素質も林泰文さんにあったことも確かな話。その確かさが今に繋がっている。

  • 山本耕史さん
    子どもモデル時代の山本耕史さん
    ※雪印(現:雪印メグミルク)「ネオソフト」のCMより

    デビューは0歳という生まれながらに芸能界を生き抜く猛者。

    昭和56年(1981年)雪印ネオソフト、ヴィックスヴェポラップ、ライオンの子ども歯ブラシ、ハウスバーモントカレーなどの子役にとっては王道ともいえるCMに出演し、長渕剛さん主演の「親子ゲーム」では主人公が営むラーメン店の近所に住む子供たちの一人として出演していた。

    ミュージカル「レ・ミゼラブル」にてガブローシュ役に抜擢され昭和62年~63年(1987年~88年)まで舞台に立った。俳優になってからも「レ・ミゼラブル」にマリウス役で出演。

    2004年NHK大河「新撰組!」での土方歳三役は当たり役。かつて土方役で名を馳せた栗塚旭さんと双璧だと私自身は思っている。舞台、映画、ドラマで大活躍。さらにものまね名人として芸達者ぶりも有名。

  • 伊藤淳史さん
    仮面ノリダー出演時チビノリダーこと伊藤淳史さん
    ※伝説のノリチビコンビです!!親子かと思うぐらい似ていたなぁ

    昭和63年(1988年)フジテレビ系列で放送されていた「とんねるずのみなさんのおかげです」のコーナーの一つであった「仮面ノリダー」の木梨憲武さん扮する仮面ノリダーのチビVerのチビノリダー役に抜擢、現場の無茶ぶりも厭わず僅か4歳ながら見事に役柄を演じきっていた。

    平成3年~6年(1991年~94年頃)、なんと!!「とんねるずのみなさんのおかげです!」の裏で放送され視聴率争いをしていたTBS「渡る世間は鬼ばかり」にも出演し、当時同じく子役だったえなりかずきさんと共演していた。

    サッカーにのめり込み俳優よりJリーガーを志そうとしていた時期があった。2000年にWOWOW制作の「独立少年合唱団」主演を機に俳優への道を真剣に考えるようになり現在に至る。現在もドラマ、CM、映画にコンスタントに活躍している。かつての仮面ノリダー・木梨憲武さんとクラウド人事労務ソフト「SmartHR(スマートエイチアール)」でCM初共演で話題になっている。

  •  

子役から大成した理由とは

一つは、国民的子役ではなかったこと。年端もいかない子どもが年間、億単位稼いでいると碌なことはない生活面、精神面、環境面に歪が現れる。

その最もたる例が某国民的子供向けドラマシリーズの初代主役だった子役であった。二代目を務めた子役は思春期に差し掛かると廃業し芸能界引退、勉学に励み現在は精神科の医師になっている。

二つ目はある一定期間芸能活動から離れていたこと。仕事が舞い込み学業がままならず、子役としての戦力外通知が来た瞬間、路頭に迷った元子役も多く存在した。要は家の存在、親の教育がすべてと言っても過言ではないだろう。それと子どもであろうとも己を客観視できる力も必要。

三つ目は一緒に作品を作り上げたいと思わせる魅力と実力があること。芸能界から離れていなかった尾美としのりさんや片岡愛之助さん、山本耕史さんは、着実に実績を残せる作品と人々との出会いが大きいと思われる。しかしそれは彼らにはしっかりとした素質があったからに他ならない。

追記:子役出身で俳優として活躍している一人として林泰文さんがいらっしゃいますが、私にとって子役の印象が強いのでここでは敢えて紹介しませんでした。ただし、林さんも子どもの頃から身を置いている芸能界の荒波の中、自分を失わず俳優道を着実に歩んでいる子役出身の成功者であることは間違いない。

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