子役からスターになった有名人(女性篇)

※昭和13年(1938年)豊田正子原作の「綴方教室」を映画化。主演の正子役は当代きっての名子役だった高峰秀子さん(当時12歳)。高峰秀子さんも子役から女優へと脱皮できた数少ない一人だ。芸能生活は順風であったものの私生活においては育ての母親や実父、兄弟に泣かされっ放しだった。しかし彼女はそれにも負けず常に凛とした人生を歩んだ人でもあった。

子役は大成しない定説を華麗にスルーした乙女たち

前回男の子ばかりだったことに気付き、本日は女の子に絞って、今も尚、女優もしくはタレントや歌手として活躍している昭和時代の子役の印象が薄い人に限定させて頂くことご容赦願う。

今回元子役ということでいろいろ調べてみましたが、声優に転身されている方が多く大重鎮ポジの方もいらっしゃいますがあくまでも今回はメディアに姿を露出している元子役を選ばせて頂いた

  • 小林幸子さん
    小林幸子さん
    ※昭和40年(1965年)映画「座頭市二段斬り」に出演した時の小林幸子さん当時11歳。本編で自慢ののどを聴かせてくれます。

    昭和38年(1963年)9歳の時に出場したTBS制作「歌まね読本」でグランドチャンピオンとなり審査員をしていた古賀政男氏にスカウトされる。

    9歳という幼さではあったものの特に美空ひばりのものまねは秀逸だった。しかしその美空ひばりさんを彷彿とさせてしまったことが仇となりしばらくヒットに恵まれず、表舞台から遠ざかっていた。


    低迷期を泉ピン子さんや夏木マリさんと励ましあってキャバレー回りなどをしていたという。しかし、夏木マリさん・・泉ピン子さん次々とブレイクを果たしていく・・・


    昭和54年(1979年)に〝時が来た〟有線でヒットに火が付き瞬くの間に「おもいで酒」が200万枚のレコードセールスを記録。当時、高視聴率番組だった「ザ・ベストテン」の常連歌手にもなり、デビュー曲の「ウソツキ鴎」以来の大ヒット苦節時代から脱却しその後は破竹の勢いで大御所格にまで上りつめる。


    大晦日の「紅白」で披露する彼女の衣装は〝冬の風物詩〟になるほどだった。現在は自主レーベルなどの活動が主となり、今は若者たちにも絶大的認知を誇る今も昔も国民的歌手である。
    ※一説では美空ひばりさんの母上に疎まれてしまったことが原因という話あり。要は「ひばりの様な天才少女は2人入らない」という感じでしょうか(^▽^;)

  • 島田歌穂さん
    ロビンちゃん
    ※昭和49年(1974年)「がんばれ!ロボコン」にてヒロイン的ポジションのロビンちゃんに扮していた

    父は音楽家、母は宝塚出身のジャズシンガー今日の彼女の源流には音楽があった。

    昭和48年(1973年)NET(現・テレビ朝日)制作ドラマ「どっこい大作」の50話「ひげのないサンタクロース」のゲスト出演がデビュー。

    翌年の昭和49年(1974年)同局制作の「がんばれ!ロボコン!」のヒロイン・ロビンちゃん役を昭和52年(1977年)放送終了の3年間務めた。

    特撮ヒーロー「大鉄人17」「俺はあばれはっちゃく」初代あばれはっちゃく(吉田友紀くん)の優等生な姉役で出演などが有名。

    一時期はアイドル路線を歩み、三原じゅん子さん(このお方も子役出身)主演のTBS系列で放送されていた「GoGoチアガール(昭和55年~56年=1980年~81年)」にて厳格な高校にチア部を発足させ主人公とともに奮闘する準主役として出演。

    昭和57年(1982年)に主演した舞台ミュージカル「シンデレラ」でミュージカルの道へ活路を見出していく。1987年日本人キャストによるミュージカル「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役に抜擢され脚光を浴び2001年まで1000回以上舞台に立った。

    全世界のキャストの中でもベストキャストに選抜され英国王室で催された『ザ・ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス』(1987年)に日本の女優として初めて招待パフォーマンスを披露。

    平成2年(1990年)世界選抜キャストとしてレコーディングに参加したアルバム『レ・ミゼラブル/インターナショナル・キャスト盤』がグラミー賞を受賞するなど国際的にも高評価を得た。

    私生活ではピアニスト兼プロデューサーの島健氏と結婚。公私に渡り音楽を通して一緒に活動している。その傍ら大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科教授として後進育成に従事。

  • 伊藤かずえさん(神奈かずえ名義のシングルジャケット)
    伊藤かずえ(神奈かずえ)さん
    ※昭和53年(1978年)12歳で神奈かずえ名義でシングルをリリース。あまりにも年相応ではない大人びた歌い方である。しかも上手くて驚いた。

    内気な性格を変える為、母親の勧めで東映児童演劇研修所へ。

    昭和47年(1972年)「人造人間キカイダー」昭和48年(1973年)「仮面ライダーV3」昭和50年(1975年)「仮面ライダーストロンガー」「秘密戦隊ゴレンジャー」などに町の平和を脅かす魔の手に怯える子どもたちの一人として出演。神奈かずえ名義「ひとりぼっちの村祭」でデビューするも実年齢と歌声の乖離がすごくて素晴らしい。ヒットに結び付かなかった。

    映画「花街の母」TBS「江戸を斬るⅣ」にゲスト出演。

    子役としてコンスタントに活動はしていたが、やはり実年齢より大人びて見える落ち着いた様がもう子役として通用しなくなることはご本人に限りらず周囲も気づき始めたことだろう。

    本格的な女優へとシフトするために81年映画「燃える勇者」の主演の一般公募に掛ける。オーディション総数2万人の中から選ばれ、晴れて真田広之さんとW主演デビューを果たした。

    ロングヘアの黒髪でクールな佇まいが小悪魔っぽさもあり、その風貌を生かしてドラマ「他人家族」では難役に挑戦。父親(藤田まことさん)と再婚した義母(浅丘ルリ子さん)、父の弟叔父(田村亮さん)を翻弄する危なげな少女役を体当たりで演じて見せた。

    さらにその翻弄は中学校の担任役(高田純次さん)、とうとう最後は義母の実の息子(俺はあばれはっちゃくこと吉田友紀くん)に及び、その息子は・・・

    次から次へと周囲を奈落の底へと落とし込む榊絵美役は印象深く当時ハラハラしながらドラマの展開を観ていた。そんなとんでもない美少女役がドラマデビュー作というのが凄過ぎる。

    その後は大映ドラマの常連でブラウン管狭しと暴れまくりました。現在は癖のある奥方役が板についてきて私自身も年を取ったなと思わせてくれる女優の一人だ。

  • 宮沢りえさん
    宮沢りえさん
    ※昭和61年(1986年)資生堂「遠野物語」の長編CM 当時12歳だった。

    11歳でモデルとしてデビューするやいなや資生堂の「遠野物語」雑誌の表紙、昭和62年(1987年)三井のリハウスで一躍脚光を浴びたこのCMに出演する女の子はリハウスガールと呼ばれるようになり女優の登竜門的CMとなった。

    17歳の時にふんどし姿のを収めたカレンダーや18歳でヘアヌード写真集を発表するなど話題に事欠かなかった。さらには当時、角界のスターだった某横綱との婚約と破局。とにかく彼女の周囲は空騒ぎの連続だった。

    常に話題を仕掛け顔と名を売る手口があまりにもあからさまで当時マネージャだった〝りえママ〟に対するバッシングが強かった印象がある。とにかく彼女は落ち着かない芸能活動に疲れ果て拒食症の噂もある中しばらく表舞台から姿を消してしまった。

    しかしタダで転ぶ人ではなかった。激しく痩せこけた姿を初めて見た時はかなりショッキングではあったが、りえママの手から離れ彼女は女優として道を究めていくことになる。

    本当にいい女優になられた。過去のことをすべて飲み込み佇む姿は〝凄味〟にさえ感じる。これからもいろんな姿を見せて頂きたい女優の一人だ。

  • 持田香織さん(ELT)
    持田香織さん7歳
    ※昭和60年(1985年)丸八羊毛パッドカバーリングセットCMに出演 当時7歳。高見山親方も出演。

    Every Little Thingのヴォーカル・持田香織さんも子役出身だったことに驚いた。CMや子ども向け雑誌のモデルに主軸を置いていたようだ。

  • 観月ありささん
    観月ありささん
    ※昭和57年(1982年)森永製菓「くるみの森」&「森のどんぐり」当時6歳。沖田浩之さんと共演。

    4歳からモデルの活動をはじめ、CMや雑誌のモデルで活躍。観月さんが女優として活動を開始したのは平成元年(1989年)に放送された「教師びんびん物語Ⅱ」で主役が受持つ学級の生徒役で本格的に女優デビュー。

    平成4年(1992)年放送の「放課後」の初主演から現在にかけて29年連続、33作品主演ドラマに出演しギネスにその名を刻んだ。現在放送中の「私たちはどうかしてる」では初めて助演の立場でドラマ参加したことで話題となった。今回の主人公・浜辺美波さんを苛め抜く姑役は正直怖い(笑)。

    観月さんは、「とんねるずのみなさんのおかげです!」によくゲスト出演していたが、石橋貴明さん扮する某女性霊能者をパロディにしたキャラクターで登場したスペシャルVerで、深夜心霊スポットの湖(雄蛇ヶ池?)のど真ん中で舟に取り残されても、無邪気に楽し気にゲラゲラ笑っていた観月さんは只者じゃなく肝の据わった大物の片鱗を漂わせていた。

    (まだあどけない少女なのにどこか悟り人感が漂っていて観月さんの途轍もないオーラを感じた瞬間でもあった。)

    伝説の少女(作詞・作曲:尾崎亜美)」を歌う彼女はある意味事件だった。そしていつの間に貫禄たっぷりな和服の似合う「極妻」主演もできるほどの美しい女優になっていた。

華麗にスルーどころかやはりド根性で〝今〟を勝ち獲った乙女たちだった

今回、紹介させて頂いた乙女たちの足跡を知って感じたこと。華麗にスルーどころか芸能界という荒波を時には抗い時には委ね漂う姿が見えてきて幼いころから衆人環視に晒されながら特殊とも言える環境を生き抜いた美しき猛者そのものだったと痛感させられた。
これからもかつての乙女たちの輝きを見つめていたい。そう思う私であった。

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