資生堂紙おむつCM

子育てママの救世主〝紙おむつ〟日本上陸

昭和52年(1977年)、福岡と佐賀の2県で米国から輸入した〝パンパース(P&G)〟を試験的販売を皮切りに、その2年後の昭和54年(79年)販路は全国規模へと拡大、すると瞬く間に日本のママたちに受け入れられ、日本にベビー用紙おむつの普及が一気に広がった「赤ちゃんのおむつは布でなくてはダメ!」「紙おむつを使用し続けていると感情の乏しい子に育つ」という保守的なかつてのお母さんたちの声などどこ吹く風の勢いで浸透していった。紙おむつ拡大に一役かったのは、産婦人科病院や産院などの医療施設で導入されたことも大きい。(2020年現在でも全国7割の医療施設で〝パンパース〟は使用されている)

    ※日本に紙おむつが一般的になる前にまったく幼児用の紙おむつがなかったわけではなく、昭和40年(1965年)に大阪で創業したトーヨー衛材株式会社(現・リブドゥコーポレーション 本社は愛媛)が既に幼児用紙おむつの製造販売をしていた(90年代~2000年代にぴぴ、ピーターパンツの商品名を耳にしたり、赤ちゃんに使用したママもいらっしゃるだろう)。現在は大人用紙おむつ(リフレ)や介護用品、用具、医療用不織布などの製造販売が主力となっている。株式が現在も非上場のため全国的な認知度は低く、さらに当時の風潮は「赤ちゃんに紙おむつなどナンセンス」「真剣に育児に向き合ってない」的同調圧力も容易に想像できる。一般的に浸透するには、黒船とも言える〝パンパース〟出現まで待たなければならなかった。

打倒・パンパース立ちあがる大手国産メーカー

紙おむつの黒船ともいえる〝パンパース〟の一人勝ちを許すまじと国内メーカーも挙って紙おむつ市場に参入

〝パンパース〟に追いつき追い越せとばかりに馳せ参じたメーカーは以下の通り

  • 昭和55年(1980年)〝ウォーキーウォーキー⇒シエステ(82年)⇒フレンド(88年)⇒GOO.N(02年)〟を発売した〝エリエールティッシュ〟でお馴染みの王子製紙。
  • 昭和56年(1981年)女性用の衛生商品でお馴染みのユニ・チャームから〝ムーニー〟
  • 昭和58年(1983年)誰もが知ってる花王から〝メリーズ〟
  • 昭和61年(1986年)「ティッシュはやっぱりエルモアよ」でお馴染みのカミ商事から〝ミミーママ〟
  • ※カミ商事は2006年頃にベビー用紙おむつ市場から撤退。大人用紙おむつ〝いちばんパンツシリーズ〟と〝お茶の力パンツ〟製造販売中。

  • 昭和62年(1987年)に愛らしいパッケージでお馴染みの〝鼻セレブ〟の王子ネピア(当時・ネピア)から〝ドレミ⇒GENKI!(07年)〟
  • 同年、日本製紙クレシアから〝アブーバ⇒パンピー(1990年代~2009年頃に撤退?)⇒エブリチュー(2018年、主に海外<米国・中国>向けに〝安心の日本製〟をアピールしたベビー用紙おむつ)〟

    ※日本製紙クレシアは1996年、十條キンバリーと山陽スコットが合併し株式会社クレシアとなり2006年に現在の社名へと変遷。
    十條キンバリーと聞いてピーンと来た人は鋭い!!十條キンバリー時代のクリネックスティシューのCMといえば都市伝説と化した85年に放送され視聴者を特に子どもたちを震撼させた「呪いのCM」女優・松坂慶子さんと子どもの赤鬼が登場するCMが印象深い。クリネックスティシューのCMはそれ以前の70年代後半に荘厳なブルガリアンヴォイスが流れる中、風に舞うクリネックスティシューと戯れる裸の美少女のCM、ネット界隈では「天使篇」と呼ばれるVerも摩訶不思議である。この話題についてはまた別の話で取り上げたいと思う

日本に於けるベビー用紙おむつは群雄割拠となり、布おむつは過去のものとなりつつあった。

話は前後するが王子ネピア(ネピア)の〝ドレミ〟日本製紙クレシア(十條キンバリー+山陽スコット)の〝アブーバ〟登場の前年に思いもよらないメーカーが紙おむつ市場に殴り込みをかけてきた

紙おむつ市場に颯爽と現れた化粧品の老舗・資生堂

昭和末期に差し掛かった昭和61年(1986年)9月に老舗の化粧品メーカー資生堂がベビー用紙おむつ市場に参入

その年の10月に女児を出産した希代のアイドル・松田聖子さんを起用したCMはかなり話題となりそのことがママドル・松田聖子のイメージを決定づけたことは間違いない

満を持して世に放った資生堂のベビー用紙おむつCM

資生堂紙おむつCM
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資生堂が放ったベビー用紙おむつ。その名は〝ピンポンパンツ〟おむつなのに〝パンツ〟発育段階に合わせた設計の紙おむつでサイズは以下の通り

  • 新生児~6、7ヵ月は「スヤスヤ」オレンジ
  • 生後7ヵ月~10ヵ月「ハイハイ」ピンク
  • 10ヵ月以降「ヨチヨチ」ブルー (平均的月齢で表記させて頂いた)

パッケージで色分けした画期的な紙おむつであった。出産直後の新米ママの松田聖子さんをここぞと起用したのも時代を先駆けたお洒落な名作CMを世に放ち続けた化粧品の老舗の意地もあったのだろう。

しかし、資生堂の〝ピンポンパンツ〟は私の記憶では平成10年頃(1990年代後半)には関東地区のみの販売となり、2000年代初めには人知れずひっそりと資生堂は紙おむつ市場から撤退してしまった。

松田聖子さんは85年に俳優の神田正輝さんと聖輝の結婚後、芸能活動を休業。86年の4月に妊娠を発表。6月には妊娠期間にレコーディングを敢行したアルバム「SUPREME」がリリースされオリコンチャート1位のヒット。10月にめでたく女児を出産した。

アルバム「SUPREME」は同年、かつて大晦日に放送されていた、日本レコード大賞のアルバム賞を受賞している。

その時に誕生した女児とは「アナと雪の女王」そしてその続編でアナ役だった神田沙也加さんである

母親譲りいや歌唱力は母親超えの実力派として活躍している姿に歳月の流れを感じる今日この頃である

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